精選版 日本国語大辞典 「一揆」の意味・読み・例文・類語
いっ‐き【一揆】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
日本中・近世社会に固有な武士・農民の結合および行動様式。「揆(き)を一(いつ)にする」意から、一致団結することを意味するようになり、一致した集団行動に対して用いられるようになる。
鎌倉時代には、武家が一揆して党をつくるなどに用いられているが、南北朝の内乱期以降、14世紀から16世紀には、「一揆の世」といわれているほど多様な形態の一揆が頻発し、政治に大きな影響を与えるようになる。まず、南北朝期に武家らの党や集団を一揆というようになり、土着の武士である「国人(こくじん)」の地域的結合である国人一揆が生まれた。しかしこのころ畿内(きない)近国の農村では、不法な代官の罷免や年貢減免を求める名主(みょうしゅ)を中心とする「庄家(しょうけ)の一揆」が組織されるようになり、これがその後、争乱、そして収奪強化、高利貸支配による生活不安などが増大すると、年貢減免や新税賦課反対を領主に求めたり、徳政を求めて結集し実力でかちとる土(つち)一揆へ発展し、1428年(正長1)の大一揆以降、主流となる。土一揆は「土民」の一揆ということであるが、一揆を組織し指導したのは国人で、名主・地侍らの農民が主体となり、それに馬借(ばしゃく)・都市貧民などが加わる場合が多い。しかし、15世紀末土一揆を主導してきた国人が農民支配を強化し、山城(やましろ)(京都府)でみられたように国一揆を組織するようになると、土一揆はしだいに減少し、戦国時代には一向(いっこう)一揆など宗教的色彩を帯びるようになる。ただこれも信仰的結合というより、大名に抵抗するために農民を巻き込んだ国人らの一揆の性格が強い。
織豊(しょくほう)政権による全国統一は、こうした一揆勢力の一掃によって初めて確立したので、彼らは徹底的な弾圧に出たが、検地反対一揆が組織されるなど在地の小領主から最後まで抵抗された。ただし兵農分離が貫徹し、武士の反乱が否定された江戸時代には、武士にかわって農民が幕藩領主の圧政に抵抗する百姓一揆が組織されるようになった。百姓一揆は江戸時代を通して約3200件起こっているが、江戸初期には村役人による越訴(おっそ)(代表越訴型)、中期には全領民参加の惣百姓(そうびゃくしょう)一揆、そして幕藩制が動揺し商人や地主が勢力を台頭させるころには、おもに彼らと領主とを相手とする世直し一揆(騒動ともいう)へと発展し、幕末期には数多く起こり、政局に少なからず影響を与えた。こうした百姓一揆は、いずれも持続性がなく要求実現後すぐ解散するものであったが、明治維新後も新政府の政策に対して各地で組織され、地租改正反対一揆などを起こしている。しかし自由民権運動などの高揚のなかで、新たな運動方法がみいだされ消滅する。
[青木美智男]
『青木美智男他編『一揆』全5巻(1980~82・東京大学出版会)』▽『勝俣鎮夫著『一揆』(岩波新書)』
字通「一」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
一味同心という連帯感を共有する人々の集団。本来の語義は「揆(みち)を一つにする」こと。日常的な方法では実現困難な,共通の目的を達成するために結成された。中世には大名から村落住民までさまざまな階層で一揆が形成されて,戦場で共闘すべき一族や地縁的集団の団結を固めたり,寺院や村において遵守すべき掟を定めたり,外部勢力の侵入に対して地域住民が団結したり,支配者の不法に対して抵抗したりした。こうした目的のために,日常的な社会関係を止揚して全員が平等の資格で合議し,多数決により集団意志の決定を行う集団が,一味神水(いちみしんすい)という神前における誓約の儀式をへて結成された。一揆は神の意志を帯した集団と考えられたために,大きな力を発揮した。近世では,一揆行為は全面的に禁圧されたが,一味神水による一揆結成の慣行は残った。百姓らの幕藩領主に対する強訴(ごうそ)・逃散(ちょうさん)などの抵抗を百姓一揆とよぶ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
…江戸時代,百姓・町人の中下層身分による大庄屋・庄屋層,地主・在方商人・都市富商などの豪農商の家屋・家財・生産用具類を破壊し,被害を与えた闘争手段で,近世の階級闘争のなかで最も激化した形態の一つである。とくに都市では飢饉その他による米価騰貴を原因とする都市下層民衆の米一揆=米騒動に伴う打毀が多く,500件近い近世都市騒擾の約半分は打毀が占める。したがってふつう打毀というと,近世都市の米一揆とみなして理解されることが多い。…
…北畠氏との関係は戦国末年の北畠氏の滅亡まで継続し,その間,伊勢に飯高(いいたか)郡神戸六郷,一志(いちし)郡小阿射賀(こあざか),多気(たき)郡御糸(みいと)などの分領を宛て行われ,軍役を奉仕している。その一方,本貫である大和宇陀郡では秋山氏,芳野氏等の有力国人とともに郡内一揆を結成し,北畠氏の権力すら容易に介入しえない自治区を創出した。郡内一揆に関しては,その文書中に宇太水分(みくまり)神社(現,菟田野町古市場)の社頭で誓約した享禄5年(1532)6月29日付の郡掟等,重要史料を残している。…
…年貢・公事は〈公平〉でなくてはならなかったのであり,限度をこえた負担を平民たちは積極的に拒否したのである。さらに南北朝時代にかけて,上層・下層のすべての平民たちが〈惣百姓〉〈惣荘〉の名において,一味同心(いちみどうしん)・一揆を結び,代官の罷免を要求して逃散することも広く見られるようになってくる。逃散は古くから,〈山林に交じる〉といわれたが,聖地でありアジールであった山林に,平民たちは実際にこもり,また室町時代には柿帷(かきかたびら)や蓑笠をつけて乞食の姿をし,世俗の縁から切れたことをみずからの衣装で示すことも行ったとみられる。…
※「一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新