日本歴史地名大系 「乙部御厨」の解説 乙部御厨おとべのみくりや 三重県:津市乙部御厨安濃(あのう)郡内にあった伊勢神宮領。安濃川(塔世川)と岩田(いわた)川との間の伊勢湾沿岸地帯で、安濃川口付近の広域な三角洲地域に設けられた。「神鳳鈔」などに乙部御厨・乙部御園として記載され、安東(あんとう)郡に属する。承久二年(一二二〇)一〇月一四日の関東下知状(楓軒文書纂)に乙部御厨内の乙部郷の地頭として「新藤内咸(ママ)定法師孫娘彦熊」の名があげられる。正安二年(一三〇〇)八月二三日の六波羅裁許状(大友文書)によると、乙部御厨の地頭源幸貫と上思御園の領主藤原景忠とが、同御園内の山林について相論を起こし、「右雖番訴陳、相互以和与之儀、所令中分也、東西之堺者引朱点於絵図、両方所封裏也、然者守彼絵図、至朱点以西者、幸貫可被領知也」とあるように、絵図面に朱線を引き、東西に領知分を分けるという典型的な下地中分をしている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報