五原郡(読み)ごげんぐん(その他表記)Wu-yuan-jun; Wu-yüan-chün

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五原郡」の意味・わかりやすい解説

五原郡
ごげんぐん
Wu-yuan-jun; Wu-yüan-chün

中国,漢代に,現在のフフホト (呼和浩特) 付近中心に,内モンゴルの南部におかれた郡。秦代には九原郡といったが,漢初,匈奴に占領されていたのを前漢の武帝が奪い返して五原と改めた。

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世界大百科事典(旧版)内の五原郡の言及

【五原】より

…人口26万(1994)。前漢の五原郡はこの地方を中心におかれたが,後漢末に廃止されてから,隋代に一時復活されたほかは,歴代,塞外の地として放棄され,清代にはモンゴル族ウラトキ(烏拉特旗)の牧地であった。清末にいたり漢民族の進出によって水利事業が発達し,20世紀の初め内地なみに県がおかれて,付近の農産物の大集散地となっている。…

※「五原郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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