フフホト(読み)ふふほと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フフホト」の意味・わかりやすい解説

フフホト
ふふほと / 呼和浩特

中国、内モンゴル自治区中部の地級市で、同自治区の首府。市の名称はモンゴル語で「青い都市」の意味である。略称は呼市。トゥムチョン平原の北東端に位置し、黄河(こうが)の支流の大黒河を南に臨み、京包線(北京(ペキン)―パオトウ)に沿う。玉泉(ぎょくせん)、新城(しんじょう)、回民区と賽罕(サイハン)区の4市轄区、トグトなど4県、トゥムド左旗(県級行政区)を管轄下に置く(2017年時点)。人口238万5800、市轄区人口130万1000(2015)。自治区の政治、文化、交通の中心である。

 平均標高が1050メートルと高く、年平均気温は3.5~8℃。昼夜の温度差が大きく、春と秋は天候の変化が激しい。夏は短く、冬は厳しい寒さが長く続く。年降水量は335~534ミリメートルと少ない。岡崎市と姉妹都市提携を締結している。

[河野通博・編集部 2018年1月19日]

歴史

現在の市街は、明(みん)代に建設された帰化(きか)城と清(しん)代につくられた綏遠(すいえん)城とからなる双子都市で、1913年、両者を合併して帰綏県が設けられた。1928年、綏遠省が設置されると省都となり市制を施行した。1952年内モンゴル自治区の首府となり、1954年フフホトと改称した。

[河野通博 2018年1月19日]

産業・交通

かつては製粉、被服などの小工場があるにすぎない農畜産物の集散地であったが、中華人民共和国成立後、毛織物、機械、製鋼、化学、皮革、畜産加工、製糖乳製品、建築材料などの近代工場が建設され、市街地も著しく拡大された。とくに毛織物工業は全国的に有名である。また、国内有数の乳製品の産地で、蒙牛乳業、伊利集団という二大乳製品メーカーが本市に本拠を構えている。2000年代以降は電子情報産業、バイオ医薬品の成長が著しい。

 京包線、京蘭線(北京―蘭州(らんしゅう))、集二線(集寧(しゅうねい)―エレンホト)が通じるほか、ウランバートル行きの国際列車も走る。市街近郊にフフホト白塔国際空港がある。

[河野通博・編集部 2018年1月19日]

文化・観光

内モンゴル大学をはじめ大学、研究所が建設されている。史跡としては旧石器時代の石器生産現場の遺跡である大窯村(だいようそん)遺跡をはじめ、大召寺、五塔寺(金剛座舎利宝塔とモンゴル語天文図石刻で有名)、王昭君の墓などがある。

[河野通博 2018年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「フフホト」の意味・わかりやすい解説

フフホト (呼和浩特
)
Hohhot

中国,内モンゴル(蒙古)自治区中部,黄河支流大黒河流域フフホト平原北東部にある自治区主都。人口141万(2000)。16世紀中ごろ,この地にモンゴル人が建設した集落をフフホト(青い城)と呼んだが,明代末中国の支配下に入り,〈漢族に帰属し教化される〉という意味で〈帰化城〉と名づけられた。さらに清代,その北東3kmに新城が建設され,〈綏靖遠方〉(遠い地を治める)からこれを〈綏遠(すいえん)〉と称した。その後,民国になってこの二つを合併して〈帰綏〉とし,1928年には綏遠省の省都として,内モンゴル地方支配の中心となった。北京と包頭を結ぶ鉄道(京包線)の開通後は,漢族商人によってモンゴリア・寧夏・甘粛各地方の畜産物と茶,綿布などとの交易が盛んにおこなわれ,旧城は商業の町となった。日中戦争の際は,日本支配下の蒙古連盟自治政府がここにおかれ,〈厚和〉と改称されたが,47年解放された内モンゴル地方に自治区が成立し,52年自治区主都が張家口からこの町に移され,フフホトの名前も復活した。

 解放後はかつての新旧両城間に,両側に街路樹が並ぶ大通りが走り,ここに学校,病院,劇場などが建設されて,二つの町の一体化がおこなわれた。また,毛織物,皮革,農業機械,建築材料その他の工場をもつ工業都市に変貌しているが,とくに毛織物工業は中国において重要な地位を占めている。さらに,北は約130km,南は黄河流域に至る農業地域の物資集散地としても活動している。そのほか,57年設立の内蒙古大学のほか,歴史語文研究所,獣医学関係の研究所など自治区の中心的な学術研究施設もみられる。市内には清代建立の五塔寺,東の郊外には高さ42m,八角7層,モンゴル・漢・契丹・女真の文字などで題記のある白塔と呼ばれる遼・金代の仏塔,南12kmには漢代に匈奴の王に嫁した宮女王昭君の墓,南東約50kmのホリンゴール(和林格爾)には,牧馬,朱雀,鳳凰,白象など50余組の彩色壁画のある漢代の墳墓がある(ホリンゴール漢墓)。
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百科事典マイペディア 「フフホト」の意味・わかりやすい解説

フフホト

中国,内モンゴル自治区の主都。漢字では呼和浩特。行政・文化の中心地。フフホトはモンゴル語で〈青い城〉の意。陰山山脈南麓に位置し,北が高く南が低い地形で,市の南部を黄河が流れている。漢族が多く,モンゴル族が約11%を占め,その他回族,満族,ダフール族,朝鮮族などが居住する。京包鉄路(北京〜パオトウ)に沿い,市街は旧城と新城に分かれる。旧城は16世紀半ばの建設で,明末に帰化城と呼ばれた。新城は清の乾隆年間の建設で綏遠(すいえん)と呼ばれ,のち2城を合して帰綏と呼ばれた。清朝のモンゴル支配の根拠地で,日本の占領時代には厚和と呼ばれた。1948年帰綏市を設置,1954年フフホト市と改称された。解放後は都市と農村の物資交換の重要市場で,現在では毛織物,機械工業を中心に,鉄鋼,化学,製糖,乳製品加工,タバコ,皮革加工,畜産品加工などの諸工業を備えた総合工業都市となっている。内モンゴル大学などの高等教育機関も設置されている。123万人(2014)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フフホト」の解説

フフホト
Kökekhota 呼和浩特

中国内蒙古自治区の首府。16世紀にトゥメトのアルタン・ハーンが建設したバイシン(板升,固定家屋の意)を起源とする。漢語では帰化城(きかじょう)。清代に八旗駐屯地として東隣に建設された綏遠(すいえん)城(新城)とともに帰綏(きすい)と呼ばれ,内モンゴルの政治,経済,宗教の中心地となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフフホトの言及

【帰化城】より

…中国,内モンゴル自治区の区都フフホト(呼和浩特)の旧名。この地は遼・金・元代(10~14世紀)に豊州と呼ばれ,明末の16世紀20年代から内モンゴル族のトウメット(土黙特)部長アルタン・ハーンが駐牧してからモンゴル名のフフホト(青い城の意)で知られるようになった。…

※「フフホト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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