なん‐ぶ【南部】
[1] 〘名〙
※
奥羽永慶軍記(1698)一「爰に奥州南部、下野国に境を隔し人々は」 〔後漢書‐南匈奴伝〕
※人情本・春色江戸紫(1864‐68頃)三「夫れじゃア板〆の方が
お召と南部
(ナンブ)だらう」
※重右衛門の最後(1902)〈田山花袋〉三「鉄の五徳に南部の錆びた
鉄瓶が二箇懸って」
※俳諧・類柑子(1707)中「わがこふる南部二歳や後の月〈
其雫〉
一穂たしかに五百粒づつ〈
其角〉」
※本朝文粋(1060頃)一三・為盲僧真救供養率都婆願文〈
大江匡衡〉「断悪修善・離苦得楽。不
レ越
二南部
一。便覩
二西方
一」
⑥ (
芝居茶屋の通言で)水のこと。〔劇場新話(1804頃)〕
※伊達日記(1600頃か)中「南部へ御人数被レ遣候間、早々政宗も可二罷下一由御意候に付」
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デジタル大辞泉
「南部」の意味・読み・例文・類語
なんぶ【南部】[地名]
陸奥の豪族南部氏の旧領地で、現在の青森県東半分から岩手県中部にわたる地域の称。特に、盛岡をいう場合もある。
なん‐ぶ【南部】
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南部
なんぶ
青森県東部から岩手県にまたがる地方の俗称。鎌倉時代,甲斐の南部光行が奥州征伐の功により,八戸糠部 (ぬかのぶ) 地方を賜わり,現在の青森県全域と岩手県一帯を統治。 16世紀末青森県西部は津軽氏に割譲された。初め本拠を三戸に構えたが,のちに盛岡に築城して移転。寛文9 (1669) 年のお家騒動で盛岡藩と支藩八戸藩に分裂した。明治1 (1868) 年弘前藩との境界近くの野辺地で両藩が激突。盛岡藩と弘前藩の歴史的抗争が影響し,現在も青森県の東部と西部には言語や生活習慣のうえでそれぞれ独自なものが残存している。同4年廃藩置県により,八戸藩と弘前藩領が合体して弘前県が成立,同年青森県と改称。盛岡藩領は岩手県となり現在にいたる。
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南部【なんぶ】
近世,南部氏が領有した地域の称。ほぼ現在の岩手県中・北部および青森県東部にあたり,南部藩(盛岡藩)20万石の所領を大南部,八戸(はちのへ)南部藩(八戸藩)2万石の所領を小南部といった。山がちで耕地に乏しいが,南部駒の産で知られた。
→関連項目南部氏
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