日本歴史地名大系 「五色村」の解説
五色村
ごしきむら
[現在地名]天川村大字五色
享保二一年(一七三六)の「大和志」に「有名而民屋今亡」とみえる。同一七年一〇月付の乍恐書付を以御願申上候(坪内の柿坂家文書)に「一、高五拾弐石六斗壱升壱合 吉野郡五色村無人家、但シ坪ノ内村・日裏村・沢原村三ケ村より出作人数 此訳 拾三人六
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
享保二一年(一七三六)の「大和志」に「有名而民屋今亡」とみえる。同一七年一〇月付の乍恐書付を以御願申上候(坪内の柿坂家文書)に「一、高五拾弐石六斗壱升壱合 吉野郡五色村無人家、但シ坪ノ内村・日裏村・沢原村三ケ村より出作人数 此訳 拾三人六
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