天川村
てんかわむら
面積:一七五・〇八平方キロ
郡のほぼ中央部に位置する。北は西吉野・黒滝両村、東は川上・上北山両村、南から西は大塔村に接する。西吉野村境には高城山(一一一一メートル)・天狗倉山(一〇六一メートル)、黒滝村境には笠木峠・扇形山(一〇五二・八メートル)・大天井ヶ岳(一四三八・七メートル、黒滝・川上・天川三村境)、川上村境には勝負塚山(一二四五・八メートル)・大普賢岳(一七七九・九メートル、川上・上北山・天川三村境)、上北山村境には国見岳(一六五五メートル)・行者還岳(一五四六・二メートル)・弥山(一八九五メートル)があり、大天井ヶ岳―弥山は大峰山脈の主脈を形成する。
天川村
あまかわむら
[現在地名]厳木町大字天川
天山北西の山裾の丘陵地帯で、周囲は天山山系の山嶺で囲まれている。五ヶ山郷の一。村内を厳木川の支流天川が貫き、広瀬村との境は落差の大きい渓谷をなしている。
天川の地名は、天山(一〇四六・二メートル)に由来するという説と、天川土佐藤原尚継という人が、この村を開拓したことによるとの説がある。天川村庄屋は尚継の子孫で、大久保氏時代から草場姓を称しているという。古来、佐賀から唐津への裏道にあたり、市川(現佐賀郡富士町)から天山山腹を抜け、天川に出て、星領に向かうか、天川から通石山を抜け七山に向かう道があった。
天川村
あまがわむら
[現在地名]前橋市天川町・朝日町二―四丁目・文京町一―四丁目
城下町の南東端にあり、北西端で新町に続く。城下から五料(現佐波郡玉村町)への佐渡奉行街道は村内を貫通し、広瀬川と交差する。天正一三年(一五八五)一月一八日の北条氏邦書状写(赤見文書)によれば、矢野兵部右衛門は「天川迄乗込」んで敵をけちらし、退却にあたっては殿の役を果し、比類なき働きを示している。近世を通じて高付された村であったが、中期以後は城下町のうちに組入れられていたと考えられる。寛文郷帳に天川村とあり、田方二七三石五斗余・畑方二八九石九斗余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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