日本歴史地名大系 「吉野郡」の解説
吉野郡
よしのぐん
奈良県の南部にあり、面積は県全域の六〇パーセント強を占める大郡であるが、人口は七万七千余にすぎない。東は三重県、南と西は和歌山県に接する。紀伊半島の中心部に位置していわゆる外帯に属し、吉野川の北側を東西に中央構造線が走っている。北の
郡名は「和名抄」に吉野郡と記し、刊本に「与之乃」と訓ずる。吉野の名は古く「古事記」の神武天皇東征の条に「吉野川の河尻」、「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年八月条に「吉野の地」とみえる。芳野とも、余思努(「万葉集」巻一八)、美曳之弩能曳之弩(「日本書紀」天智紀一〇年一二月条)とも書かれた。「続日本紀」大宝二年(七〇二)六月六日条に「大倭国吉野宇知二郡」、同書の和銅四年(七一一)四月九日条に「大倭国芳野郡」とみえる。
現吉野郡の郡域は古来の吉野郡とほぼ等しい。現郡域に現宇陀郡大宇陀町の上竜門地区七大字を併せ、現大淀町大字
〔原始〕
縄文時代の遺跡は、吉野川と支流の
吉野郡
よしのぐん
- 岡山県:美作国
- 吉野郡
美作国北東部、吉野川上流域に立地。史料上、明確な行政単位としてみられるのは近世からで、明治三三年(一九〇〇)
慶長八年(一六〇三)森忠政が美作に入国し、拝領高一八万六千五〇〇石で津山城主となり、当郡もその支配下に置かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報