井家郷(読み)いのいえごう

日本歴史地名大系 「井家郷」の解説

井家郷
いのいえごう

和名抄」所載の郷。高山寺本に「為乃以倍」、東急本・刊本に「井乃以倍」と訓ずる。郷域は中世井家庄(現河北郡)の庄域の主要部を含み、現津幡つばた町の南部から現金沢市域の北部にかけての地域、すなわちかつての河北潟東岸と礪波となみ丘陵西麓に挟まれた沖積平地一帯と考えられている。当郷は寿永二年(一一八三)木曾義仲・平家方の合戦の舞台となり、「源平盛衰記」巻二九に「都合七万余騎ハ、加賀ト越中ノ境ナル倶梨伽羅山ヘソ向ヒケル、加賀国井家・津播多・荒井・閑野・竹橋・大庭・崎田・森本マテ連タリ」とあり、平氏軍が井家から森本もりもと(現金沢市)まで続いていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報