日本歴史地名大系 「京泉村」の解説 京泉村きようせんむら 栃木県:真岡市京泉村[現在地名]真岡市京泉五行(ごぎよう)川下流左岸に位置し、飯貝(いいがい)村の北東部に接する。古くは大内(おおうち)庄のうちで飯貝郷東飯貝とよばれ、飯貝村とはもと一村であったため、相互に飛地が入組む。とくに東岸に飯貝村の飛地が極めて多く存在することは、京泉村が飯貝村から分離独立したことの傍証となろう。慶長三年(一五九八)宇都宮藩領となり、同六年真岡藩領、寛永九年(一六三二)相模小田原藩領。寛文年間(一六六一―七三)の後半に飯貝村から分村したといわれる。寛文一〇年の村々明細帳(渡辺善兵衛文書)に村名がみえ、田方七四町二反余・八一五石余、畑方六九町四反余・四一三石三斗余、家数一〇六・人数四四八、馬六二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by