仏師屋(読み)ぶっしや

精選版 日本国語大辞典 「仏師屋」の意味・読み・例文・類語

ぶっし‐や【仏師屋】

  1. 〘 名詞 〙 仏像製作修理を業とする家。また、その人。〔日葡辞書(1603‐04)〕

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世界大百科事典(旧版)内の仏師屋の言及

【宿院仏師】より

…室町時代末から桃山期にかけて源次,源三郎,源四郎,源五郎などがあり,〈南都住宿院仏師〉と自称した。天平時代以来800年を経て,ふたたび俗人仏師が活躍するようになったわけで,彼らは〈仏師屋〉とも名乗っているように代金仕事をする仏師となり,これがその後の仏師の主流となっていく。【佐藤 昭夫】。…

【仏師】より

…また仕事の組織のうえでは大仏師の上に惣(そう)大仏師,下に権(ごん)大仏師,頭(とう)仏師などもつくられる。僧としての性格はますます薄くなってゆき,室町時代になると寺院などに所属し,仏師の手伝いをしていた工匠のなかから仏師として独立するものも出てくるようになり(宿院仏師),平安時代以来数百年間絶えていた俗人仏師までも出現することとなり,これが江戸時代に入ると,幕府御用とされる正統仏師とは別に,町の仏師屋,商売として仏像の製作に当たる人物も多くなってゆく。仏所【佐藤 昭夫】。…

【仏所】より

…そのほかの都市でも多くの仏所がつくられている。これらのうちには奈良の宿院仏師のように,番匠,つまり大工の集団から発達し,最初は仏師の下請け的な仕事をしているうちに,仏師として独立した俗人仏所もでき,平安初期以来800年間,実生活はともかく,僧籍にあるはずの仏師の伝統が破られることとなり,やがて正統仏師とは異なった町の仏師屋へと変容してゆき,これがむしろ江戸時代の主流となってゆくのである。大仏所では11世紀中葉にはすでに120人ほどを動員できる能力があったが,鎌倉時代に入ると,さらに整備され,東大寺南大門の仁王像のごとき8mの巨像2体を,わずか72日で完成させており,その動員力と完備した組織の存在を想像させる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」