光法村(読み)みつのりむら

日本歴史地名大系 「光法村」の解説

光法村
みつのりむら

[現在地名]佐賀市北川副町(きたかわそえまち)大字光法

角町(つのまち)村・阿高(あたか)村・新(しん)村を含めて総称する場合もある。佐賀城下に近く本藩の蔵入地で川副代官の支配下にあった。正保絵図に村名がみえる。

佐賀城下の南西にあって寺井津(てらいつ)(現佐賀郡諸富(もろどみ)町)に至る街道に面し、幕府巡見使の巡回路でもあった。寛政元年(一七八九)の巡見録には石高六八二石余、人数二九〇人、家数五〇軒余とある。巡見使からの燃料や水田の肥料についての質問に対し、「在方の儀ニ付、藁焚申候段申上候処」「夫ニ而ハ足り申間敷所ハ何の通仕候哉」と尋ねられ、藁で不足の場合は麦藁、なお不足する場合は「其節は城下へ罷出薪相整候」とし、肥料については「干鰯其外養買調候」と答えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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