日本歴史地名大系 「円見山村」の解説
円見山村
つぶらみむら
享保一八年(一七三三)書上の諏方藩一村限村地図(長野県庁蔵)に「家数八軒 高百弐拾壱石三斗八升七合壱勺」と記されている。安政四年(一八五七)の「両村一同対談書」(葛窪共有)によれば、円見山村は小村でなにかと不都合のため、葛久保村との合併の儀が以前からあったが、安政三年二月、一〇軒ほどのうち八軒が類焼して、いよいよ難渋したため、翌四年七月郡奉行所へ合併を願い出て聴許済みとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報