切梅村(読み)きりうめむら

日本歴史地名大系 「切梅村」の解説

切梅村
きりうめむら

[現在地名]豊浦町切梅

北はたけはな村、東は荒町あらまち村。たてこしに切梅館と称する中世の館跡がある。慶長三年(一五九八)頃の新発田御領内高付帳(新発田市史資料)に村名がみえ、一七八石一斗六升。同四年の御判物之写(北方文化博物館蔵)に「当秋年貢定之事」として五斗五升とある。寛永五年(一六二八)溝口三分家創立に伴い村の一部が溝口又十郎宣秋の領地となった。又十郎は初め水原すいばら(現水原町)に陣屋を置き分知された六千石を支配したが、正保元年(一六四四)当村に陣屋を移した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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