北蒲原郡(読み)きたかんばらぐん

日本歴史地名大系 「北蒲原郡」の解説

北蒲原郡
きたかんばらぐん

面積:五九五・三四平方キロ
安田やすだ町・笹神ささかみ村・水原すいばら町・きよう村・豊浦とようら町・聖籠せいろう町・紫雲寺しうんじ町・加治川かじかわ村・中条なかじよう町・黒川くろかわ

県北部に位置し、北西は日本海に臨む。現郡域は旧北蒲原郡中央部に横たわる新発田しばた豊栄とよさか両市によって南北に二分される。北部は飯豊いいで山地と櫛形くしがた山脈の山地と胎内たいない川・加治川などが形成した越後平野北部の沖積平野からなり、岩船郡荒川あらかわ町・関川せきかわ村、山形県西置賜にしおきたま小国おぐに町、新発田市豊栄市・新潟市に囲まれる。南部は五頭ごず連峰の山地と越後平野からなり、西縁を阿賀野川が北流、新発田市・東蒲原郡三川みかわ村・五泉市・新津市・中蒲原郡横越よこごし村・豊栄市に囲まれる。交通の大動脈は羽越本線と国道七号・四九号・二九〇号・三四五号などで新発田・新津・新潟各市に結ばれる。

〔原始・古代〕

縄文時代の遺跡は北部では櫛形山脈西麓の丘陵地や胎内川の河岸段丘、南部では阿賀野川右岸の丘陵地や五頭連峰西麓に分布する。胎内川中流に位置する黒川村の坪穴つぼあな遺跡は縄文前期の坪穴式土器の標式遺跡。中条町関沢せきざわ遺跡からは一八基の配石遺構が発見され、縄文時代の祭場または墓跡といわれる。加治川村貝塚かいづか遺跡は揚北あがきた地方唯一の淡水産貝塚で、中期前葉とされる。後期の遺跡は安田町に多く、ツベタ遺跡は土石流地帯に立地する特異な遺跡である。藤堂とうどう遺跡は後期の集落跡、横峰よこみね遺跡は後期―平安時代の複合集落跡で晩期の円形竪穴住居跡や経塚が発掘されている。水原町の石船戸いしふなと遺跡は晩期の遺跡である。

弥生時代の遺跡は日本海沿岸の砂丘地や阿賀野川右岸の丘陵地などに分布する。安田町の六野瀬ろくのせ遺跡は弥生中期の再葬墓を中心とした共同墓地で、京ヶ瀬村猫山ねこやま遺跡も弥生中期の代表的な再葬墓である。新潟砂丘に立地する聖籠町の二本松にほんまつ遺跡は中期末から後期、紫雲寺町王子山おうじやま遺跡は後期の遺跡である。福島ふくしま(現豊栄市)の北岸にある豊浦町の曾根そね遺跡は古墳時代前期―奈良・平安時代の集落跡で、地方官衙跡ともいわれる。加治川村の貝屋かいや窯跡は八世紀頃の須恵器窯跡で、豊浦町の真木山まぎやま製鉄遺跡も同じく八世紀頃の製鉄遺跡である。古代は沼垂ぬたり郡、のち蒲原かむはら郡に属した。「和名抄」記載の沼垂郡三郷のうち足羽あすは郷・賀地かじ郷が郡内に比定される。また「延喜式」神名帳の沼垂郡五座のうち市川いちかわ神社が中条町、川合かわあい神社が黒川村に比定されている。

〔中世〕

中世は蒲原郡のうちで、岩船郡とともに揚北(阿賀北)とよばれた。一一世紀から一二世紀にかけて一帯には白河しらかわ庄・豊田とよた庄・加地かじ庄・奥山おくやま庄が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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