日本歴史地名大系 「加々皿沼村」の解説 加々皿沼村かがさらぬまむら 東京都:足立区加々皿沼村[現在地名]足立区加賀(かが)一―二丁目・皿沼(さらぬま)一―三丁目など鹿浜(しかはま)村・谷在家(やざいけ)村の北に位置し、北は古千谷(こぢや)村・入谷(いりや)村、東は伊興(いこう)村、西は領家(りようけ)村(現埼玉県川口市)。郷帳類などでは鹿浜村の内とされていたが、実質的に一村を形成。村組として加賀と皿沼があり、慶長一五年(一六一〇)に加賀が、寛永一九年(一六四二)に皿沼が確認できる(応現寺文書)。初め幕府領。明暦元年(一六五五)から東叡山寛永寺領となるが、領知目録では寛文五年(一六六五)に鹿浜村に「加々皿沼共」と並記されて登場する(東叡山方書物之写など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報