北土佐殿町・南土佐殿町(読み)きたとさどのまち・みなみとさどのまち

日本歴史地名大系 「北土佐殿町・南土佐殿町」の解説

北土佐殿町・南土佐殿町
きたとさどのまち・みなみとさどのまち

[現在地名]和歌山市北土佐きたとさ丁・土佐町一丁目

南御中間みなみおちゆうげん町の西に北土佐殿町、その南に南土佐殿町がある。ともに武家屋敷地で元禄一三年(一七〇〇)の和歌山城下町絵図は北を「水野土佐守殿組」、南を「土佐守殿辻」と記す。新宮城主水野家の下級武士が居住したと考えられる。明治五年(一八七二)北土佐町・南土佐町となり、南土佐町は昭和一四年(一九三九)土佐町一丁目の一部となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む