北相生町・南相生町(読み)きたあいおいちよう・みなみあいおいちよう

日本歴史地名大系 「北相生町・南相生町」の解説

北相生町・南相生町
きたあいおいちよう・みなみあいおいちよう

[現在地名]和歌山市北相生丁・南相生丁

東長ひがしなが町六―八丁目の西、北田辺町きたたなべちよう筋から南の出口甲賀でぐちこうが町にかけた町人町御通町おとおりちよう筋で南・北二町に分れる。文政一三年(一八三〇)の御触書写(道成寺文書)には「東長町之内是迄御水屋敷と称し候辺を北相生丁、同はそん屋敷と称し候辺を南相生町」としたとあり、古くは東長町に含まれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 武家屋敷

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む