卜部兼延(読み)うらべのかねのぶ

朝日日本歴史人物事典 「卜部兼延」の解説

卜部兼延

生年生没年不詳
平安中期の祠官で,のちの唯一神道の宗家・吉田家の発展の基礎を築いた。「卜部系図」によると,藤原氏から分かれ卜部の氏祖とされる平麻呂の子である神祇官宮主豊宗の孫。天暦3(949)年,平野社預を父好真から継承,それとともに神祇官に属する卜部から,中宮宮主,東宮宮主,さらに円融,一条2代天皇の大宮主を歴任した。長保3(1001)年に神祇大副となり,同家子孫が神祇官の次官に進む慣例を開いた。吉田兼延と称する場合があるが,当時は平野社預で,吉田社預が出るのは鎌倉期。吉田という社名家名に用いるのは室町期。なお,兼延は室町後期の神道家・吉田兼倶によって『唯一神道名法要集』(唯一神道の中心的文献)の著者に擬せられた。

(白山芳太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「卜部兼延」の解説

卜部兼延 うらべ-かねのぶ

?-? 平安時代中期の神職
吉田神道吉田氏遠祖。長保3年(1001)神祇大副(じんぎのたいふ)となる。一条天皇から兼の字をあたえられ,子孫は代々名前に兼の字をつけた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の卜部兼延の言及

【神道大意】より

吉田兼俱(かねとも)(1435‐1511)の著。唯一宗源神道(吉田神道)の大成者兼俱はその神学確立のために,祖先の名に託し《唯一神道名法要集》(托卜部兼延),《唯一神道大意》(托卜部兼直)などを記しているが,それらとともに彼の神学・思想をみる上の重要書。本書は尊経閣文庫本の奥書より知られるように,1486年(文明18)前将軍足利義政に進めるために記したものである。…

※「卜部兼延」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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