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一条天皇 いちじょうてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

一条天皇
いちじょうてんのう

[生]天元3(980).6.1. 京都
[没]寛弘8(1011).6.22. 京都
第 66代の天皇 (在位 986~1011) 。名は懐仁。円融天皇第1皇子,母は藤原詮子。寛和2 (986) 年即位。藤原道兼,道長が相次いで政権を握り藤原文化の最盛期ではあったが,律令制は崩壊の一途をたどった。

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デジタル大辞泉の解説

いちじょう‐てんのう〔イチデウテンワウ〕【一条天皇】

[980~1011]第66代天皇。在位986~1011。円融天皇の第1皇子。名は懐仁(やすひと)。在位中は藤原道長の全盛時代、宮廷女流文学の最盛期にあたる。

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百科事典マイペディアの解説

一条天皇【いちじょうてんのう】

平安中期の天皇。在位986年−1011年。父は円融天皇,母は藤原詮子(東三条院)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。986年即位,詮子の父藤原兼家摂政となる。兼家の死後,子の道隆・道兼が摂関の地位を継いだが,995年兼家の第4子道長が内覧の大臣として政権を掌握した。
→関連項目花山天皇後朱雀天皇三条天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一条天皇 いちじょうてんのう

980-1011 平安時代中期,第66代天皇。在位986-1011。
天元3年6月1日生まれ。円融天皇の第1皇子。母は藤原詮子(せんし)(東三条院)。花山天皇の突然の退位により7歳で即位。藤原兼家が摂政となる。のちその子道長が右大臣ついで左大臣となって政治の実権をにぎった。治世中,清少納言,紫式部,和泉式部らが活躍。寛弘(かんこう)8年6月22日死去。32歳。墓所は円融寺北陵(みささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。法名は精進覚。日記に「一条天皇御記(ぎょき)」。
【格言など】野べまでに心一つは通へどもわが御幸(みゆき)とは知らずやありけむ(「後拾遺和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

一条天皇

没年:寛弘8.6.22(1011.7.25)
生年:天元3.6.1(980.7.15)
平安中期の天皇。名は懐仁。円融天皇の第1皇子で母は藤原兼家の娘の女御詮子(東三条院)。25年間の在位は平安期では醍醐天皇に次ぐ長さ。5歳で従兄の花山天皇皇太子となり,2年後に即位し,外祖父の兼家が摂政となった。兼家のあと子の道隆,道兼が摂関となったがいずれも短期で死去,道長が姉詮子の後押し(渋る天皇の夜の御殿にまで入って涙ながらに訴えたという)で権力の座についた。長保2(1000)年,中宮に道隆の娘の定子がいたが道長はこれを皇后とし,娘の彰子を入れて中宮とし一帝二后という前例のないことを現出させた。彰子から後一条,後朱雀両天皇が生まれた。一条天皇は道長と協調して政治を行ったといわれるが,除目などでは道長の専権は著しかった。天皇自身温雅な性格で才学豊かで笛の名手であり,それを反映して文人,貴族,僧,武士など各界で人材が輩出した。定子,彰子に仕えた清少納言紫式部をはじめ才媛が出て王朝文学を開花させたのも一条朝である。病を得て寛弘8(1011)年三条天皇に譲位。陵は京都市右京区竜安寺朱山の円融寺北陵。寛弘年間の日記『一条天皇宸記』の存在が知られるが内容は伝わらない。<参考文献>加納重文「一条天皇」(『女子大国文』104号)

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

いちじょうてんのう【一条天皇】

980‐1011(天元3‐寛弘8)
第66代に数えられる天皇。在位986‐1011年。父円融天皇,母藤原詮子(東三条院)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。984年(永観2)立太子。従兄花山天皇が詮子の父兼家らの謀計で退位出家すると幼少で即位,兼家が摂政となる。990年(正暦1)元服。兼家がその年死んだ後その子道隆が摂関の地位を継いで権力を振るい,その死後弟道兼が就任数日で死ぬと,その弟道長が内覧の大臣として政権を掌握。天皇は道隆の女定子を皇后としたが,のち道長の女彰子が立后,一帝二后の例を開いた。

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大辞林 第三版の解説

いちじょうてんのう【一条天皇】

980~1011) 第六六代天皇(在位986~1011)。名は懐仁やすひと。円融天皇の第一皇子。在位中は藤原氏の最盛期。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一条天皇
いちじょうてんのう
(980―1011)

第66代天皇(在位986~1011)。円融(えんゆう)天皇第1皇子。母は藤原兼家(かねいえ)の女(むすめ)、東三条院詮子(せんし)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。984年(永観2)花山(かざん)天皇の皇太子となり、986年(寛和2)7歳で即位。1011年(寛弘8)病を得て出家するまで在位25年。初め外祖父兼家が摂政(せっしょう)となり執政し、兼家死後はその子道隆(みちたか)、道兼(みちかね)が摂関となり、ついで藤原道長(みちなが)が内覧の肩書で関白(かんぱく)の実を行った。長期にわたり執政した道長は女彰子(しょうし)を後宮に入れ、天皇との協調関係を維持し、絶大な権勢を振るった。多数の人材が輩出し、宮廷文化が栄華を極め、ことに女流文学が栄え、紫式部(むらさきしきぶ)、清少納言(せいしょうなごん)をはじめとする女房らが後宮で活躍した。陵墓は京都市円融寺北陵。[森田 悌]
『土田直鎮著『王朝の貴族』(1971・中央公論社)』

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