朝日日本歴史人物事典 「台与」の解説
台与
邪馬台国の女王。「臺与」あるいは「壹与」とも。卑弥呼が247年ごろに死亡し,邪馬台国は男王を立てたが国中服さず誅殺し合った。そこで卑弥呼の宗女の台与13歳を立てたところ国中が治まったという。魏とは卑弥呼時代と同様に朝貢関係を続けた。晋が建国される(265)と,『晋書』によれば泰始2(266)年に倭人が朝貢した。『日本書紀』神功皇后摂政66年条所引の『晋起居注』によると倭の女王が朝貢したことになっている。『日本書紀』編纂者は神功皇后を卑弥呼とみなしているが,女王とは台与と考えられる。その後,倭国から中国への遣使は413年までみられない。
(小林茂文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報