壹与(読み)いよ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「壹与」の意味・わかりやすい解説

壹与
いよ

生没年不詳。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にみえる弥生(やよい)文化後期の倭の女王臺与(とよ)ともみえる。倭の女王卑弥呼(ひみこ)が3世紀の中ごろに死ぬと、男王がたったが、国中は服さず、内乱に発展した。そのような情勢のなかで、卑弥呼と同族の女でシャーマン的性向をもった年13になる壹与が擁立されて倭王となり、内乱は収まったという。『魏志倭人伝』によれば、その直後に中国に朝貢していることがわかるが、それ以後の動静については明確にされていない。ただ『日本書紀』に引くところの『晋書(しんじょ)』起居注にみえる「倭女王」が壹与とすれば266年までは在位していたことになる。大和(やまと)王権と関係づけて壹与を崇神(すじん)天皇皇女豊鍬入姫(とよくわいりひめ)に比定する見解もあるが、記紀と『魏志倭人伝』を直結するのは避けるべきであろう。

[関 和彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「壹与」の意味・わかりやすい解説

壹与
いよ

3世紀半ば頃のの女王。史料によって臺与(とよ)とも記されている。「魏志倭人伝」には,邪馬台国卑弥呼死後,男王が継いだが,国中が服従せず内乱が続いたため,卑弥呼の宗女(一族の娘)で 13歳になる壹与が擁立され,ようやく混乱が収まったと記載されている。壹与は中国のに使いを送り,魏滅亡後も西晋(→)と外交関係をもち,武帝の泰始2(266)年に遣使した記録が残されている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「壹与」の解説

壹与
いよ

「魏志倭人伝」にみえる邪馬台国(やまたいこく)の女王。卑弥呼(ひみこ)の死後男王を立てたが国中が服さず,戦乱状態に陥ったため13歳で王に立てられた。卑弥呼の宗女(そうじょ)とあるのは同族の意味か。「壹(壱)」を「臺」の誤りとみて台与(とよ)とする説もある。

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