吉嗣 拝山(読み)ヨシツグ ハイザン

20世紀日本人名事典 「吉嗣 拝山」の解説

吉嗣 拝山
ヨシツグ ハイザン

明治・大正期の日本画家



生年
弘化3年(1846年)

没年
大正4(1915)年1月11日

出生地
筑前国太宰府(福岡県)

本名
吉嗣 達

別名
別号=左手拝山,独掌庵

経歴
幕末国事に奔走し、維新後太政官に出仕。明治4年東京での地震のため右手切断、職を辞し帰郷した。初め広瀬淡窓に漢籍を、中西耕石に南画を学ぶ。のち中国に旅行し、文人隠士と交流し書画ともに一変する。山水画を得意とし、特に芦雁図は賞讃を集めた。東宮の九州巡遊の折御前揮毫し、27年第4師団より英国王室献上の「富岳の図」を制作。信州児玉果亭、名古屋の山本梅荘と共に地方南画家の三大家と称され、「左手拝山」として知られる。フランスの東洋美術研究家ミジヨンに賞讃されるなど、内外に盛名を馳せた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報