コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

中西耕石 なかにし こうせき

3件 の用語解説(中西耕石の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

中西耕石

幕末・明治の南画家。筑前蘆屋生。名は寿、字は亀年、別号に荃岡・竹叟・石山断流閣等。幼時より画を好み、大坂で篠崎小竹の門に学び、ついで京都で小田海僊に学び一家を成す。山水・花鳥を能くする。当時日根野対山前田暢堂と併せて対暢耕と称された。明治17年(1884)歿、78才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中西耕石 なかにし-こうせき

1807-1884 江戸後期-明治時代の画家。
文化4年生まれ。陶工の家に生まれ,大坂で篠崎小竹(しょうちく)の門にはいる。のち京都で小田海僊(かいせん)にまなぶ。山水,花鳥にすぐれ,日根対山(ひね-たいざん),前田暢堂(ちょうどう)とともに「対暢耕」とよばれた。明治17年1月9日死去。78歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。名は寿。字(あざな)は亀年。別号に竹叟。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中西耕石

没年:明治17.1.9(1884)
生年:文化4(1807)
幕末明治の南画家。名は寿,字は亀年,別号を竹叟という。筑前(福岡県)の人。はじめ小田海僊の門に入り四条派を学ぶが,のち南画に転じ一家を成す。日根対山,谷口靄山と併称され,明治初期の京都の南画界を牛耳った。

(星野鈴)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

中西耕石の関連キーワード大野恥堂木下蘆洲近藤梅外桜井純造酔雪鈴木義敬須田伊織関直吉疋田棟隆山田潮月

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone