児玉果亭(読み)コダマ カテイ

20世紀日本人名事典 「児玉果亭」の解説

児玉 果亭
コダマ カテイ

明治・大正期の日本画家



生年
天保12年1月30日(1841年)

没年
大正2(1913)年1月

出生地
信濃国下高井郡平穏村渋温泉(長野県)

別名
別号=果堂,果道人,迂果

経歴
20歳の頃、飯山藩の佐久間雲窓に師事、南蘋派を学ぶ。数年後帰郷し、隣村の興隆寺住職畔上楳仙に経史と禅学を学んだ。慶応2年類焼によって家財を失い、以後全国を遊歴。のち京都に移り田能村直入に師事、南画を学ぶ。3年後の明治13年帰郷してが室竹僊山房を築いた。17年内国絵画共進会に「山水」「花卉」で褒状、19年東洋絵画共進会に「山水」2回で銀賞を受賞。その後は郷里に閑居し制作を続けた。直入の師・田能村武田の画風をはじめ、稼圃、藍田叔、盛茂燁などの中国古名蹟を学び、山水を得意とした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「児玉果亭」の解説

児玉果亭 こだま-かてい

1841-1913 明治時代の日本画家。
天保(てんぽう)12年1月30日生まれ。はじめ郷里信濃(しなの)(長野県)で佐久間雲窓にまなび,のち田能村直入(たのむら-ちょくにゅう)に文人画をまなぶ。明治13年郷里に竹僊(ちくせん)山房をつくり,菊池契月(けいげつ)らおおくの弟子をそだてた。19年の東洋絵画共進会で銀賞。大正2年1月14日死去。73歳。字(あざな)は士毅。別号に果堂,果道人。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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