吉永名(読み)よしながみよう

日本歴史地名大系 「吉永名」の解説

吉永名
よしながみよう

薩摩国建久図田帳の公領三一七町のうちに島津庄寄郡の「吉永十二町」がみえ、「名主当国拒捍使崎田五町」、地頭は右衛門兵衛尉(島津忠久)であった。建仁二年(一二〇二)二月一九日の薩摩国留守所下文案(「宇佐宮日時正遷宮一会例」宮内庁書陵部蔵)では薩摩郡吉永に対し、造大隅正八幡宮府行事粮米八升五合の弁済が命じられている。正安二年(一三〇〇)二月八日の定綱・忠氏連署施行状(山田文書)に坂本刑部房澄円が訴えたという吉永名は薩摩郡の吉永名か。寛元元年(一二四三)八月一〇日の五大院主迎阿譲状(新田神社文書)では、迎阿から次男左兵衛尉師久へ譲られた本免二町六反のうちに吉永四反があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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