売主が買主に売買の目的物を引き渡し,それに対し買主が売主に代金を支払うように,債務者(または第三者)が自己の負担する債務を実現することで,履行ともいう。債権の主たる消滅原因となる。弁済は債務者によってなされるのが原則であるが,債務者以外の第三者(たとえば,物上保証人)もこれをなしうる。ただし,絵を描く債務や講演する債務のように,債務者自身がするのでなければ目的を達成しえない債務は,第三者によって弁済されえない。また,弁済をするにつき法的利害関係を有しない第三者(たとえば,債務者の友人)が弁済するためには,債務者の意思に反しないことを要する。利益といえども本人の意思に反して押しつけるのは妥当でないからである。弁済は信義誠実の原則に従い債務の本旨にかなうようにする必要がある。債務については弁済すべき時期(履行期)が定められているから,履行期が到来すれば,弁済しなければならない。履行期の定めがないときは,債権者はいつでも履行を請求できる(ただし,民法591条参照)。弁済の場所(履行地)は,当事者の約定によって決まるのが普通であり,その多くは債務者の住所(取立債務)であるが,別段の定めのないときは,持参債務とされる。また,特定物の引渡しは,債権発生当時にその物が存在した場所で(484条),かつ,履行期における現状で引き渡さなければならない(483条)。給付目的物につき弁済者は処分権と譲渡能力を有していなければならず,そのいずれを欠いても弁済は無効であるが,いったん物を引き渡したときは,さらに有効な弁済をしなければ,その物を取り戻すことはできない(475,476条)。ただし,債権者が受け取った物を善意で消費してしまった場合には,有効な弁済とみなされる(477条参照)。
弁済は債権者ないし弁済受領権限を有する者に対してなされねばならない。受領権限を有しない者にした弁済は無効であるが,債権者がそれによって利益を受ければ,その限度で効力を生じる(479条)。たとえば,Aの銀行預金通帳と印鑑を拾得ないし窃取したBが,銀行に対し預金の引出しを請求した際に,銀行側がBをAと誤認し,過失なしに支払った場合には,銀行はAに有効な弁済をしたものとされる。つまり,受領権限のない者であっても,現実に債権者ないし受領権限のある者のごとく振る舞っているようなとき,この者を債権の準占有者といい,これに対し債務者が過失なくして債権者と誤認し弁済した場合には,この弁済は有効とされるのである(478条)。さらに,受取証書の持参人に対する弁済も,この者に弁済受領権限がないことを過失なくして知らなかったときは,有効である(480条)。われわれが,領収書(=受取証書)を持参する集金人に,安心して支払えるのは,このことによる。ところで,債権者は当然に受領権限を有するが,例外的にこれを有しないことがある。債権を質に入れた債権者や,債権を差し押さえられた債権者がこれである。したがって,たとえば,AのBに対する100万円の債権が,Cによって差し押さえられ,その旨Bに通知されたときは,BはAに弁済してはならない。もし,BがAに80万円支払ったとすれば,CはBに対して自己に80万円支払うべきことを請求しうる(481条)。Bは二重払いを強いられることとなるが,BからAへ改めて80万円の求償をなしうることはいうまでもない。
どのような債権であっても,債務者の行為だけで弁済はなされえない。BがAに対して,借りた金100万円を弁済する場合を考えてみても,結局のところAがBの持参した100万円を受け取らなければ,弁済の効力を生じない。簡単にいうなら,債権者の協力(受領)なしには,弁済は完成しないのである。そこで,弁済のために債務者としてできるだけのことをした以上,かりに債権者が協力しないため債務が消滅しないときでも,債務者には責任がない,としなければなるまい。そこで,民法493条は,〈弁済ノ提供ハ債務ノ本旨ニ従ヒテ現実ニ之ヲ為スコトヲ要ス〉と定め,弁済の提供があれば,債務者は債務不履行責任などを負わない(492条)ほか,供託することにより債務を消滅させることができるとしている。いかなる場合に現実の提供があったといえるかは,具体的事情に応じて判断するよりほかないが,たとえば,債務者が借金の弁済のため現金を債権者方に持参して受領を催告すれば,債権者の面前に提示しなくても,現実の提供になると解すべきである。とにかく,債務者は弁済の現実の提供をしなければならないのを原則とするが,〈債権者カ予メ其受領ヲ拒〉んでいたり,肖像画を描く債務のごとく,〈債務ノ履行ニ付キ債権者ノ行為ヲ要スルトキハ〉,債務者は,弁済の準備を完了したうえその旨を債権者に通知して,債権者の受領を催告するをもって足りる。これを〈口頭の提供〉または〈言語上の提供〉という。肖像画を描く債務についていえば,債務者たる画家は,アトリエでキャンバスや絵具ないし椅子などを準備し,依頼者である債権者に,アトリエへ来訪されたい旨を伝えれば,口頭の提供があったといえる。さらに,債権者たる賃貸人が賃貸借契約の存在を否定するなど,賃料債務の弁済を受領しない意思が明確に認められるときは,債務者たる賃借人は,口頭の提供をしなくても債務不履行の責任を免れる,と解される。もっとも,これに対しては,人間の気持は不変ではなく,気が変わることもありうるのだから,いかなる場合においても〈口頭の提供〉だけは必要である,との反論もありうる。
弁済がなされると債権は消滅する。しかし,弁済した証拠がないかぎり,紛争を生じた場合に,債務者は債権の消滅を証明できない。そこで,弁済者には,弁済受領者に対して,受取証書(領収書)の交付請求権が認められている(486条)。そして,弁済の目的物の交付と受取証書の交付とは,同時履行の関係(〈同時履行の抗弁権〉の項参照)に立つ。それゆえ,タクシーの乗客が,運賃を支払う際には,領収書の交付を求めることができ,運転手がこれを拒めば,運賃の支払を拒むことができる。ただ,店頭で日用品などを買うような場合には,当事者の意思または慣習により,買主が,受取証書の交付請求権を放棄していると,みられることが少なくない。弁済者は,さらに,借用証などの債権証書がある場合には,債務全額を弁済すれば,債権証書の返還を請求しうる(487条)。これは二重の請求を防ぐためである。ただし,弁済目的物の交付と債権証書の交付とは,同時履行の関係に立たない。そうでなければ,債権証書を紛失した債権者は,ついに弁済をうけることができない,という結果を招くからである。なお,弁済するにはなにがしかの費用を要するのが,一般的であろう。この〈弁済の費用〉の負担については,別段の意思表示がなければ,債務者負担とされている。ただし,債権者が住所を移転するなどによって,弁済の費用が増加したときは,その増加額は債権者の負担となる(485条但書)。不動産売買における所有権移転登記のための登録免許税(いわゆる登記料)は,弁済の費用であるから,債務者たる売主がこれを負担すべきであろうが,現実には取引慣行や当事者の意思によって,買主負担とされている場合が,圧倒的に多い。
債務者が同一の債権者に対し,同種の複数の債務を負担している(何口かの借金がある)場合に,弁済者がその全額に満たない額を弁済として提供したときは,それがどの債務につきいかほどの額の弁済にあてられるのか,という問題を生じる。そこで,民法はこの点について規定している。いわゆる〈弁済充当〉である。まず,当事者の合意による。合意がなければ,弁済者が充当すべき債務を指定することができるが,この指定がなかったときは,弁済受領者が指定することになっている(488,490条)。受領者の指定に対して,弁済者は異議を述べることができ,その場合には,以下のごとき法定充当を生じる(489条)。法定充当については,(1)弁済期にあるものと弁済期未到来のものとの間では,弁済期にあるものにまず充当する,(2)すべての債務がともに弁済期にあるか,ともに弁済期未到来であるときは,債務者にとって弁済の利益が多いものから先に充当する,(3)債務者にとって弁済の利益がともに等しい場合には,弁済期が先にくるものから充当していく,(4)以上,(2)(3)の基準に照らしても同一であるときは,各債務額に按分して充当される,としている。問題となるのは,〈債務者ノ為メニ弁済ノ利益多キモノ〉をいかなる基準によって判断すべきか,である。たとえば,利息つき債務が無利息債務より,高い利息つき債務が低い利息つき債務より,担保のついた債務が無担保債務より,債務者にとって弁済の利益が多いことは明らかであるが,担保のついた利息の低い債務と利息の高い無担保債務とを比べるとき,いずれが弁済の利益が多いかを判定するのは,困難である。以上に対する例外は,1個または数個の債務について,元本,利息,費用を支払うべき場合に,それら総額に満たない給付がなされたときは,費用,利息,元本の順に充当すべし,とされていることである(491条)。この順位が充当の原則であるが,弁済者と弁済受領者との合意によらなければ,この順序を変えることはできない。
執筆者:石田 喜久夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
債務の内容たる給付を実現させる債務者その他の者の行為をいう。たとえば、借金を支払うとか、売買の目的物を引き渡すというのがこれにあたる。弁済をなすべき者は、通常は債務者であるが、民法はさらに第三者による弁済をも認めている。債権は、給付の実現される結果に重きを置くものであるから、債務者以外の者による弁済も認めて差し支えないわけである。もっとも、債務者以外の者による弁済を認めることになると、その場合には、弁済者と債務者との間に清算関係が生ずることとなり、弁済者は債務者に対して求償権をもつこととなる。そこで民法は、このような求償権を確保するために、弁済者は債権者に代位して、その債権およびこれに伴う担保を承継するという、いわゆる弁済者の代位の制度を規定している(499条・500条・501条)。
[竹内俊雄]
通常、弁済の場所は、当事者間の明示または黙示の意思表示や、その取引についての慣行で定まることが多い。しかし、前記のような標準によっては定まらない場合もありうるので、民法は、これにつき補充的に次のような基準を設けている。(1)特定物引渡債務の場合については、債権発生当時、その物が存在した場所(484条前段)、(2)その他の債務の場合には、弁済時の債権者の住所(484条後段)で、それぞれ弁済すべきものとされている。
[竹内俊雄]
民法は弁済の費用につき、特約のない限り債務者が負担するものと規定している(485条本文)。すなわち、債務者は、自分の負担で弁済の提供をしなければ、遅滞の責任を免れないこととなる。もっとも、債権者が住所を移転したり、あるいは債権が譲渡されたりすると、弁済の費用が増加することもありうるが、このような場合には、その増加額については、債権者が負担すべきものとされている(485条但書)。
[竹内俊雄]
債権者以外にも、債権者の代理人や債権質権者(民法366条)などのように弁済を受領する権限を有する者もあるが、一般的には、債権者以外の者は弁済を受領することができず、したがって、この者になした弁済は、債権を消滅させることができない。しかし、民法は、弁済者の信頼を保護して一般取引の安全を図り、かつ取引上の実際の必要性に応じて、次の例外を認めている。(1)債権の準占有者への弁済 債権の準占有者とは、債権者らしい外観をもった者をいう。たとえば、表見相続人や郵便貯金通帳とその取引印などの持参人がこれにあたる。債務者がこの者を債権者だと思って善意で弁済すれば、これが有効となり、真の債権者からの請求があっても、二重払いを強制されることはない(478条)。ただし債務者が善意で弁済したとしても、過失があった場合はその弁済は無効となる。(2)受取証書の持参人への弁済 受取証書の持参人は、弁済受領権限がありそうな外観をもつ者であるから、善意無過失でこの者に弁済した債務者は免責される(480条)。ただし、債権者が反証をあげて、債務者の悪意または知らなかったことに対する過失を立証すれば、債務者は免責されない(480条但書)。
なお、受取証書は真正なものでなければならない。すなわち、債権者またはその代理人の作成したものでなければならないものと解されている。
前述したような場合を除くほか、一般に弁済受領権限のない者に対する弁済は無効であり、不当利得として返還請求できることとなる。債務者は、改めて債権者へ弁済しなければならない。しかし、もし、弁済受領権限のない者が、受領した物または金銭を債権者の利益のために使った場合には、債権者が利益を受けた限度で債権の消滅が認められている(民法479条)。
[竹内俊雄]
債権者に対する同種の債務が複数あって、債務者の提供したものでは、全債務を消滅させるに十分でない場合、特定の債務を定めてその債務の弁済にあてることを弁済の充当という。債務のなかには担保のついたもの、つかないもの、期限のついたもの、つかないものなどがあり、どの債務の弁済にあてるかは、債務者・債権者の利害に関することとなる。この弁済の充当は、当事者の指定で決定できるが、この指定がなかった場合につき、民法は補充的な規定を設けている(488条~491条)。
[竹内俊雄]
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