日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜多見氏」の意味・わかりやすい解説
喜多見氏
きたみうじ
江戸氏の一族。世田谷吉良(せたがやきら)氏の家臣喜多見勝忠(かつただ)が1590年(天正18)徳川家康の御家人(ごけにん)となり本領武蔵(むさし)国多摩(たま)郡喜多見(東京都世田谷区)を安堵(あんど)され500石を知行(ちぎょう)した。ついで重恒(しげつね)を経て重政(しげまさ)のとき将軍綱吉(つなよし)に信任され、小姓(こしょう)から側用人(そばようにん)となり、1681年(天和1)従(じゅ)五位下若狭守(わかさのかみ)に叙任、1万石の大名となり、86年(貞享3)加増されて2万石となる。重政は喜多見村慶元寺前5町歩余の地に陣屋を置き、村内6町6反歩余の地に下屋敷も設けた。重政は綱吉の生類憐(しょうるいあわれ)みの令による犬大支配役でもあり、喜多見に犬小屋を設けたほどであった。しかし1689年(元禄2)別家喜多見重治の刃傷(にんじょう)事件などにより除封されて、廃絶した。
[森 安彦]