中世~近世の歴史用語。本来は仕事・事務・職務を執り行うことを意味した。古語の〈しる〉(自分のものにする,自分のものとして取り扱う,という意味で,英語のmasterにほぼ相当する言葉)に漢字の〈知〉があてられたところから,〈知り行う〉→〈知行〉と展開したものと思われる。同じ〈しる〉に〈領〉の字もあてられており,そこから発生した〈領掌(りようしよう)〉も知行とほぼ同じ意味に用いられた。近代官僚制的職務とちがって,古代の職務は一般にそれに伴う特権や権益と一体視されていたから,職務を知行することは,それとともになんらかの利益を自分のものにする(〈しる〉)ことでもあったのである。郡司に任命することを〈郡を給ふ〉と表現した古記録があるのも,こうした官職的地位の私物視をあらわしている。
古代末期から,国衙の官職や荘園の荘官職の体系が整備されるに従って,これらを知行する,といういい方がさかんに用いられるようになった。これらの職(しき)には在地のものが補任(ぶにん)されることが多く,一種の請負的性格が濃厚で,当然それに伴う権益も大きかったから,知行する対象を所領(しよりよう)とみなす意識が強くみられた。さらに,本来在地のものがみずから開発した所領も,その権益を保全するために国司や権門に寄進して,寄進者(開発者ないしその子孫)が国衙や荘園の職(郡司職,郷司職,下司(げし)職,公文(くもん)職,等々)に補任される,という形をとることが一般化するにつれて,職=所領という観念はいっそう強化されるようになった。鎌倉幕府下の地頭職はおおむねこれらの後身で,やはりこれを知行する地頭の所領と観念された。補任権者(国司,領家,幕府)の側でも,〈相伝の所領たるによって,○○職に補任する〉という趣旨の補任状を発給してなんらあやしまなかったのである。
このように,知行は中世の所有法体系にとって中核的意味をもったので,これまで法制史学上,その法的性質をめぐって論争がくりひろげられてきた。この時代には,近代法にあるような抽象的な所有権の観念がなく,ひとびとは〈○○職が何某の所有権に属する〉とか〈○○職について何某が所有権をもっている〉とかいういい方はせず,〈何某が○○職を知行する〉〈何某が知行する○○職〉と表現した。ある職の帰属をめぐって,現実の知行者=〈当知行〉者(A)と取り戻そうとする者=〈不知行〉者(B)との間に紛争が起きたとき,Bは〈Aの知行には由緒がなく,自分に知行すべき由緒がある〉という趣旨の請求をし,Aは〈自分の知行には由緒がある〉と反論して争い,裁判所は〈A(またはB)が知行すべきである〉という判決を下すのが一般的であった(年紀法)。ちなみに近代法においては,〈Aは(占有しているが)所有権者ではない,自分Bこそが所有権者である〉〈いや,自分Aこそが所有権者である〉という形の主張が対立することになる。このような場合の〈知行すべき由緒〉は,近代法の〈占有すべき(占有を正当ならしめる)権利(本権ないし権原)〉と似ているので,その限りで〈知行〉は占有possessioに類似の概念だとする学説が成り立ちそうにみえる。しかし,〈由緒〉は知行の取得原因たる事実(売買,交換,相続,等々)であって,権利ではない。また近代法では,本権をめぐる訴訟では,本権そのものの帰属・有無を争うのであって,わざわざ(その本権にもとづく)占有に言及することはない。他方,占有をめぐる訴訟は,〈本権ニ関スル理由ニ基キテ之ヲ裁判スルコトヲ得ス〉(民法第202条2項)と,本権とまったく切りはなして裁判所の判断が下される。これに対して知行をめぐる裁判は,つねに,だれが正当な知行者か,に関するもので,本権と区別された占有を独自に問題にすることはないから,〈知行〉を占有になぞらえることはほとんど意味がない。まれに,知行者が他人に知行を妨害され,裁判所に訴え出たとき,直ちに(妨害者を召喚して,由緒をめぐる証拠調べをすることなく)〈妨害をやめよ。自分に知行すべき由緒があるのなら,証拠を添えて訴えよ〉という判決が下された例があるが,これは自力で権利の実現(知行の取戻し)を行う(自力救済)ことが原則上禁止されていたことのあらわれであって,上述した現行民法の占有訴訟が本権と切りはなして扱われたのと同じではない。
他方,知行は,権利と占有の未分離な所有形態を示す中世ドイツのゲウェーレGewere(フランスではセジヌsaisine)に似たものとする学説もある。たしかに上述の〈知行すべき由緒〉といういい方からもわかるように,知行の場合にも権利と占有は密着しているから,Gewereの体系と共通のものがみられるが,Gewereという言葉そのものは,国制上の一定の法的地位を表示するテクニカルタームであって,裁判においても,だれがその地位をもっているか,が問題にされるのに対し,知行は,〈職〉に伴う職務と権益を自分のものにする,という事実上の行為ないし状態を指す言葉で,自分のものにすべき対象(地位)たるGewereに対応するのはむしろ〈職〉であり,〈知行〉は〈Gewereをもつ〉の〈もつhaben〉に相当するといってもよい。もっとも,〈職〉は前述のように国衙や荘園の秩序の中で,一定のマネージメントの機能を果たすべき地位であるのに対し,Gewereは法共同体の中で,その対象物(動産・不動産や特権)を自力で代表する唯一の正当な資格者たる地位であり,荘園のような支配機構がうまく機能していくための職務とは関係がない。したがって,職-Gewere,知行-habenという比定も用語法上の類似に着目しただけのものであり,その法的性質の相違を忘れてはならない。要するにヨーロッパと日本で,このように法や秩序のあり方が異なることをさしおいて,知行をGewereないしpossessioと比較することは意味がないのである。
近世に入ると知行は武士の俸禄を指すようになる。このように俸禄と知行が結びついたのは,武士の身分が近世になると権益と切りはなされ,請負的性格を失って,ほぼ純粋に職務ないし職分として観念され,〈自分のものにする〉対象ではなくなり,職務に対する報酬たる俸禄だけが〈自分のものにする〉対象として残ったことを示している。ただ大名の地位だけは,領地・領民を平穏に統治すべき職務とそこから徴収する権益とが結びついているという意味で,若干中世と似た構造が残っていたが,大名の領国支配については領掌と知行が結びついた〈領知〉という言葉が用いられ,知行はほとんど用いられていない。中世までは支配秩序の上下を通じてみられた請負的性格のゆえに,どの職についても共通に知行もしくは領掌が用いられたのに対し,近世ではわずかにその性格を残す大名については〈領知〉,官職的性格を強くした一般武士については俸禄の〈知行〉,というように用語が分化し,さらに農民の土地支配についてはまったく別系統の〈所持〉が用いられるようになった。このように用語は,物を支配するものの地位の性格によって変化するのである。
執筆者:石井 紫郎
江戸時代の領知・知行は,領主の領地に対する支配権をいう。近世の知行は,室町時代に形成された大名領地の一円知行を継承したものといってよいが,戦国大名領の知行がみずからの相続,購入,割譲などによって形成されてきたのに対し,江戸期領主(大名,旗本)の知行は,日本全土を領有する将軍から朱印状によって領地を宛行,または安堵されることによって成立した。したがって,みずからの意に反し,将軍(幕府)の意向で知行の没収(改易),知行高の削減(減封),もしくは知行地の変更(転封,国替)を余儀なくされることもあった。大名は,将軍の代替りごとに交付される領知目録によって,知行石高と領地の所在地を国・郡・村ごとに指定されている。幕府は1664年(寛文4)将軍家綱の代に,全国の大名に対し領知判物,朱印状および領知目録をいっせいに発行したが(寛文印知),その結果を示す〈寛文朱印状〉(《寛文印知集》)によると,224家の大名の知行高合計は1781万4200石余であった。
大名の領地を支配関係によって大別すると,大名が直接支配し年貢を収納する蔵入地(くらいりち)と,家臣に宛て行う給地(家臣知行分)とに分けられる。そして後者すなわち家臣が給地を支配する形態には,地方(じかた)知行と蔵米(くらまい)知行とがあった。地方知行とは,家臣が直接給地を支配して年貢を収納する形態であり,戦国期の小領主の知行形態にならったものではあるが,江戸時代には大名領主権が強大となって裁判権などは吸収され,実質的には制限付きの年貢収納権だけが残されていた。蔵米知行とは,給地を名目上指定するものの藩の役人が一括して支配し,家臣には給地の年貢に相当する米・金を藩の蔵から支給する形態であり,給地支配から切り離されているところから擬制的知行ともいうべきものである。江戸時代初期には地方知行であっても,17世紀中葉に蔵米知行に転換した藩が多く,1701年(元禄14)の調査にもとづく《土芥寇讎記(どかいこうしゆうき)》の記事によると,全国243藩のうち地方知行は外様と大藩を中心に39,蔵米知行は譜代と中小藩を中心に204という分布を示している。
知行高1万石以下の幕府直参(じきさん)のうち御目見(おめみえ)以上を旗本というが,旗本の知行も大名家臣の場合と同じく,地方知行と蔵米知行に分かれる。徳川家康が関東移封の直後に,家臣団の知行割を行ったのが旗本の地方知行の原型である。当初の方針は,小知行取は江戸付近,せいぜい江戸から一晩泊りの範囲内におくことにあったが,その後たびたびの地方直し(じかたなおし)(知行地の再編)によって,知行地は関西や中部地方にも広がり,蔵米知行から地方知行への転換も生まれ,知行の分散化が進行した。地方知行の旗本は,地方取(知行取)とも呼ばれ,上級のものは大名領に似た組織をもつが,旗本は常時江戸詰めを命ぜられていたから,在地勤務の家臣に知行地の支配をまかせた。下級の知行取の場合は,家臣の駐在もなく年貢収納を知行地の名主にまかせる場合もあった。これに対し蔵米知行の旗本は,蔵米取(切米取)とも呼ばれ,幕府蔵より年に春,夏,冬の3回,俸禄を米または張紙値段によって換算した金で支給されるだけで(俸禄制),知行地を支給されることもなかった。
1867年(慶応3)大政奉還によって幕府が倒れた後も大名領は朝廷の下に維持されていたが,明治政府は69年(明治2)版籍奉還を行うとともに武士階級を華・士・卒族に編成替えし,71年廃藩置県によって大名とその家臣団の土地領有権を否定した。ただししばらくの間は,知行地の年貢や俸禄に相当する家禄を,政府が肩代りして華士族に支給していたが,やがてこれも整理にむかい,75年には金禄公債を一時に交付することによって,家禄の支給をすべて打ち切り(秩禄処分),近世的知行とそれに由来する家禄も完全に消滅した。
執筆者:大口 勇次郎
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中世~近世,土地を支配し,そこから収益をあげることをさす語。古代では仕事や職務を執行する意味だったが,古代末期に荘園制が成立し,職務とそれにともなう特権や収益を一体視する「職(しき)」の秩序が一般化すると,「職」の知行が所領を支配し,収益をあげる意味で多用され,中世の土地支配・土地所有を表現する語として重要視されるようになった。中世の知行の法学的説明としては,占有とみる説や,ゲルマン法のゲベーレと同じく権利と占有の未分離状態の表現とする説など,諸説対立する。中世では現実に知行していることを当知行,知行を失った状態を不知行とよび,「御成敗式目」8条で,20年以上当知行を続けた者を保護する法も定められた。鎌倉後期以後,荘園制の崩壊にともなって「職」の知行から土地自体の知行へとむかう傾向が強くなり,守護や戦国大名は家臣に土地自体を知行としてあてがうようになった。近世では,将軍から領地を与えられた大名は,これを「領知」するといい,大名から知行地や蔵米を与えられる家臣は,これを「知行」するとよんだ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
平安時代から室町末・戦国時代にかけて行われた土地・財産の直接支配をいう。知行とは本来知り行うの意、職務を執行することを意味したが、平安時代の中期から末期にかけて官職の収益権化が進み、職務に付随する一般的な土地用益権を意味する職(しき)の観念が成立するに及んで、この職(しき)の行使、すなわち土地・財産の直接支配をさして知行というようになった。しかし、職(しき)の分化に伴って、土地支配から遊離した得分(とくぶん)のみの支配(所当(しょとう)の知行)や、土地に対する支配権の行使を事実上否定されたもの(不(ふ)知行)が生じた。一方、本来的な権利の有無にかかわらず実質的な土地支配権の行使事実(当(とう)知行)が重視されるようになり、室町末・戦国時代に荘園(しょうえん)制が崩壊し、職(しき)が解体するとともに、土地の権利関係は、百姓の用益権・耕作権を軸とする占有権と、大名の領主的支配権の二つに還元され、江戸時代には単なる領主の領地に対する支配権を意味するものとなった。
[井上寛司]
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…封建時代に主君からその家臣または,これに準ずる階級の者に給与された知行,俸禄をいう。家禄は中世にもみられるが,幕藩制時代の近世に典型的にみられる。…
…古代・中世,律令制の国のうち,国司以外の公卿・廷臣や社寺等が吏務(りむ)(支配・統治の実務)の実権をもつ国。沙汰国,給国ともいい,吏務の実権をとる者を知行主とか国主という。 律令制の地方統治制度である国司制度がしだいにくずれ,国守(=受領)の地位が利権化する一方,公卿・廷臣らの俸禄制度が無実化するにともない,11世紀中ごろから公卿の子弟を諸国の守に任命し,その公卿に吏務の実権をとらせ(これを知行とか沙汰という),その間に収益を得させることがしだいに慣例となった。…
…団体規約の多くに,犯罪に対する罰条として,成員身分の剝奪(はくだつ)(擯出(ひんしゆつ)),地域からの追放が定められているのはそのゆえであり,とくに追放刑が本所法・武家法にとり入れられて,中世の刑罰体系の中心に位置づけられたのは,中世社会に根強い団体への帰属意識のあらわれであったと思われる。
[私有財産・私権重視の理念]
次に私有財産および私権の重視については,第1に私的土地所有権の発展,具体的には職(しき)と知行(ちぎよう)の概念の展開がある。もともと土地所有権概念としての職は,王朝国家の官司請負制の発展の中で形成された職務の執行と職務利益の収取との一体化という現実から生まれたものである。…
…正確には〈二十箇年年紀法〉という。《御成敗式目》第8条に〈一,御下文(くだしぶみ)を帯ぶるといえども知行(ちぎよう)せしめず,年序を経る所領の事 右,当知行の後,廿ヵ年を過ぎば,大将家の例に任せて,理非を論ぜず改替にあたわず。しかるに知行の由を申して御下文を掠め給るの輩,かの状を帯ぶるといえども叙用に及ばず〉(原漢文)とあるのが,明文的規定の嚆矢(こうし)である。…
※「知行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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