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御家人 ごけにん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

御家人
ごけにん

鎌倉~江戸時代,将軍と主従関係にあった武士 (家人) の敬称。鎌倉幕府御家人は,源頼朝と一般武士との間に発生した個人的御恩奉公の双務的関係から発した私的色彩の強いものであったが,頼朝の東国政権が全国的規模の武士政権である鎌倉幕府に発展したとき,御家人制度は鎌倉幕府の制度として固定した。

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デジタル大辞泉の解説

ご‐けにん【御家人】

鎌倉時代、将軍直属の武士。将軍に忠誠義務を尽くす代償に、所領安堵・新恩給与などの保護を受けた。
江戸時代、将軍直属の家臣のうち、御目見(おめみえ)以下の者。→旗本

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百科事典マイペディアの解説

御家人【ごけにん】

鎌倉時代,将軍と主従関係を結んだ武士身分の呼称。給恩の反対給付として大番役・警固などの御家人役を果たす。江戸時代には知行高1万石未満の幕臣で御目見得(おめみえ)以上を旗本,以下の者を御家人という。
→関連項目相対済令青方氏足利荘安堵伊沢家景石黒荘市河氏内管領宇都宮氏永仁の徳政越訴海軍操練所開発領主篝屋柏木御厨鎌倉大番役鎌倉幕府革島荘神崎荘関東公事関東御分国棄捐令給地京都大番役蔵米蔵前相場軍艦操練所家人元禄の大火甲府勤番講武所高用名小普請雀岐荘地方知行直臣地頭大犯三箇条竹崎季長千葉常胤徳政張紙値段武士団札差奉公衆北条貞時松浦党御内人陸奥国留守職目付湯浅党結城氏若年寄和佐荘

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とっさの日本語便利帳の解説

御家人

鎌倉時代に源頼朝(一一四七~九九)に見参して主従関係を結んだ武士。家人に「御」をつけたもの。その後、鎌倉、室町幕府における将軍直属の家臣を指す。江戸時代の御家人は、旗本と並ぶ将軍の直臣。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
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世界大百科事典 第2版の解説

ごけにん【御家人】


[中世]
 鎌倉時代,将軍直属の家臣。幕府の首長としての将軍と主従関係を結んだ武士身分の者をいう。平安時代,貴顕の家に隷属した従者を家人とよんだが,武門の棟梁である源氏や平家の従者についてもその称呼が用いられ,時に敬称として御の字が付された。鎌倉幕府成立後,将軍の家人も敬称として鎌倉殿の御家人,関東御家人などとよばれ,後には身分の称呼として固定化した。1180年(治承4)源頼朝の挙兵の際,いちはやく味方に馳せ参じたのは縁戚の北条氏一族のほか,伊豆・相模等を中心とした源氏譜代の家人である武士たちであった。

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大辞林 第三版の解説

ごけにん【御家人】

〔「家人」の敬称〕
平安時代、貴族や武家棟梁の従者をつとめた武士。家の子。郎党。
鎌倉時代、将軍直属の家臣。本領安堵あんど・新恩給与・官位推挙などの保護を受けたが、御家人役と呼ばれる多くの義務を負わされた。
江戸初期、将軍直属の一万石以下の家臣の称。のちに旗本と御家人とに区別され、御目見おめみえ以下の者とされた。直参じきさん。 → 旗本

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

御家人
ごけにん

(1)鎌倉時代に将軍(鎌倉殿)と主従関係を結んだ武士。平安時代には貴族の従者を家人とよび、源氏や平氏などの武家の棟梁(とうりょう)に臣従する武士も家人とよんだが、鎌倉幕府のもとでは将軍の家人にはとくに敬称をつけて、鎌倉殿御家人、関東御家人などと称した。幕府の統率下にない武士が「非御家人」とよばれたように、御家人の称はしだいに特定の武士をさす身分呼称として固定化した。鎌倉幕府の訴訟手続を解説した『沙汰未練書(さたみれんしょ)』には、「御家人とは、往昔以来、開発領主として、武家御下文(おんくだしぶみ)を賜る人の事なり」と定義され、御家人になるためには開発私領(本領)を有する武士が名簿(みょうぶ)を捧(ささ)げて将軍の見参に入り、将軍から本領安堵(あんど)の下文を受ける手続を必要とした。ただし、西国の御家人は一般に将軍との主従関係が緩やかで、守護が交名(きょうみょう)を注進するだけで御家人となったものも多かった。このため、東国の御家人は、本領安堵あるいは新恩によって、荘園(しょうえん)・公領の地頭職(じとうしき)に補任(ぶにん)されたが、西国の御家人で地頭になった例はきわめて少ない。御家人は、将軍から与えられた所領安堵・所職補任に対して、戦時に際しての出陣、平時の大番役(おおばんやく)・鎌倉番役などの軍役、あるいは関東御公事(みくうじ)などの御家人役を負担する義務を負った。このように将軍と御家人は御恩と奉公の関係を通じて双務契約的な主従関係を形成し、御家人制は鎌倉幕府の軍事的な基盤となった。御家人を中央で統轄したのは侍所(さむらいどころ)で、承久(じょうきゅう)の乱(1221)以降は六波羅探題(ろくはらたんだい)が西国の御家人を管掌し、蒙古(もうこ)襲来以後は鎮西(ちんぜい)探題が九州の御家人を管掌したが、普通は守護を介して国ごとに御家人の統率が行われた。鎌倉幕府は一貫して御家人を保護する政策をとったが、鎌倉時代後期になると、御家人の階層分解が進んで経済的に困窮する御家人がみられ、また庶子の台頭による惣領(そうりょう)と庶子の対立などにより、御家人制はしだいに弛緩(しかん)した。さらに蒙古襲来後の恩賞の不足と異国警固番役などの負担の増大、あるいは北条氏の被官(ひかん)(御内人(みうちびと))と一般の御家人との対立によって、御家人制の根幹が揺らぎ、幕府が滅亡する原因ともなった。なお、室町時代にも御家人の称は武家の家柄を示すものとして存続したが、室町幕府の主要な権力基盤とはならず、その実質は失われた。
(2)江戸幕府の直臣(じきしん)団のうち下級のものをさす呼称。知行(ちぎょう)高1万石以下の直臣団は、御目見(おめみえ)以上を旗本(はたもと)、それ以下を御家人と称した。御家人には、直臣になった時期の違いによって譜代(ふだい)と二半場(にはんば)と一代抱(いちだいかかえ)という区別もあった。御家人の禄高(ろくだか)の最高は260石で、最低は4両一人扶持(ぶち)であった。江戸時代後期になると、富裕な町人が、困窮した御家人の養子となって家督を継いで幕臣となる御家人株の売買もしばしばみられた。[小山靖憲]
『安田元久著『鎌倉御家人』(教育社歴史新書) ▽大饗亮著『封建的主従制成立史研究』(1967・風間書房)』

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世界大百科事典内の御家人の言及

【江戸】より

…人口の半分近くが武家人口であるから,屋敷に出入りする札差から台所出入りの商人や職人たちも多かったし,下働きの奉公人たちも周辺農村の出身者が数多く,江戸の住民構成の特色であるといえる。また実質的には都市の下層民と同じようになっている御家人層の存在も軽視できない。幕府直属の御家人は推定で約6万人とされているが,これらはわずかな扶持と土地を拝領しているだけであるから生活を維持していくだけでもたいへんであった。…

【江戸幕府】より


【権力の性格】
 将軍の権限の中核は,全国の武士を動員・指揮する源頼朝以来の武家の首長という点にあった。頼朝は,荘園制下の各地域で現実の所領支配に基づいて武力を蓄えた武士を,所領の授受または安堵による御恩と奉公の主従関係で結ばれる御家人として組織した。ここに頼朝(鎌倉殿)―御家人の関係が私的な授封関係であるヨーロッパのレーエン制に比定されるゆえんがあった。…

【開発】より

…しかし何と言っても開発領主の典型は,平安時代以来の開発によってその本領を確立し子孫に伝領した在地領主である。鎌倉末に成立した《沙汰未練書》には〈御家人トハ,往昔以来,開発領主トシテ,武家ノ御下文ヲ賜ハル人ノ事ナリ〉〈本領トハ,開発領主トシテ,代々武家ノ御下文ヲ賜ハル所領田畠等ノ事ナリ〉と述べており,開発領主たることが鎌倉幕府の御家人の本質的属性として端的に示されている。鎌倉幕府は,関東御分国たる東国において,開発された〈新田〉を地頭の得分とし,検注免除の特権を付与した。…

【鎌倉幕府】より


[政治過程]
 平治の乱の結果,1160年(永暦1)以来平氏によって伊豆に流されていた頼朝は,80年(治承4)8月以仁王の命に応じて平氏打倒の兵をあげた。やがて頼朝は相模の鎌倉を本拠と定め,御家人統率のために侍所を設け,遠江以東の〈東国〉に対する経営を進めた。新邸を造営した頼朝はこの年12月,御家人たちの参集するなかで新邸に移り住む儀式を盛大に行ったが,これは新政権成立の宣言を意味するものであった。…

【家人】より

…もう一つは名簿(みようぶ)といって自分の名前を記した文書を提出するのみで家人となったり,1度だけの対面の儀式(見参の礼)で家人となったもので,〈家礼(けらい)〉と呼ばれて主人の命令に必ずしも従わなくてよい,服従の度合の弱い家人である。このような家人のタイプに応じて,鎌倉幕府は御家人制を整備した。すなわち幕府の首長である鎌倉殿(将軍)を主人と仰ぐ家人を御家人と称し,そのうち早くから源頼朝に従った東国の御家人を直属の御家人として,その所領を安堵するかたわら,西国の御家人については名簿の提出を意味する守護による御家人交名(きようみよう)の注進(御家人名簿の提出)を命じた。…

【御恩・奉公】より

…一般に武家社会における主君の家臣に与える恩恵・保護と家臣の主君に対する奉仕・忠節の封建的な主従関係をいう。源氏の家長とその譜代の家人である東国武士との間の私的な主従関係が鎌倉幕府の成立により鎌倉殿(将軍)と御家人間の半ば公的な主従関係となる。この場合鎌倉殿の御恩とは,守護・地頭職の補任,所領の給与(恩領という),相伝私領の確認(本領安堵という),朝廷に対する官位の推薦,所領相論に際して領家の非法よりの保護等であり,御家人の奉公とは戦陣に臨んで身命を捨てて忠勤をはげむことを第1に,平時の軍役たる京都大番役鎌倉大番役,篝屋(かがりや)番役,警固役,供奉随兵役等,そして関東公事(くうじ)とよばれる将軍御所修造役等数々の経済的負担等であった。…

【在京人】より

…鎌倉時代,西国に所領をもつ御家人のうち選ばれて六波羅探題に奉公したものをさす。京都に滞在する在京御家人には京都大番役を務めるためたまたま在京しているものをはじめとして,さまざまな御家人がいたが,在京人はこのうち六波羅探題に常時奉公したもので,そのことによって大番役を免除され,かわりに京都の辻々に置かれた篝屋(かがりや)の警固役を負担した。…

【中世社会】より

…それゆえ,天災はたちまち寛喜(1229‐32)や正嘉(1257‐59)のような大飢饉をよびおこし,多くの人々が餓死し,浮浪人となった。
[非法と逃散]
 これに加えて,平安末期には勅事(ちよくじ),院事(いんじ)などの臨時雑役(りんじぞうやく)が頻々と賦課され,官使,国使らによる追求はきびしく,鎌倉幕府成立後,とくに承久の乱(1221)後の西国では,地頭に補任(ぶにん)された東国御家人の乱妨(らんぼう)・非法も著しいものがあった。当時の社会では盗み放火,殺人が大犯(だいぼん)としてきびしく罰せられたが,地頭はこうした慣習を逆手にとって,わずかな盗犯などに対しても多額の科料(かりよう)を課した。…

【拝領町屋敷】より

…江戸で,御家人など下級の幕臣に与えられた拝領屋敷内に長屋を建て,町方の者を居住させ,賃貸料を取ることを認められたもの。幕府の具足同心,黒鍬方,小人方,納戸同心,伊賀者,掃除者といった下級幕臣が組単位で一括して与えられた拝領地に,町家作をしたいとの願い出が多くなったのは寛文~元禄期(1661‐1704)であった。…

【御内人】より

…得宗被官,御内方ともいう。もともとは貴人の邸内に伺候する人の意から直属の家臣をさすが,一般には将軍に仕える御家人と対比して,得宗被官をこう呼ぶ。御内人は将軍の陪臣であり,身分も低かったが,北条氏の政治的地位の上昇とともに,北条氏の使者や代官となって重要な政治活動を行うようになった。…

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