営岡(読み)たむろがおか

日本歴史地名大系 「営岡」の解説

営岡
たむろがおか

[現在地名]栗駒町尾松・鳥矢崎

前九年の役の際に源頼義と出羽山北の俘囚主の清原真人光頼とが軍を参集させた地で、尾松おまつ地区と鳥矢崎とやさき地区にまたがる丘陵地と考えられる。屯岡とも記され、地名は往古坂上田村麻呂が東征した時に当地で陣容を整えたことに由来するという。「扶桑略記」康平五年(一〇六二)一二月二八日条に光頼の舎弟武則が「率子弟、発万余人兵、越来当国栗原郡営岡」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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