扶桑略記(読み)フソウリャッキ

デジタル大辞泉 「扶桑略記」の意味・読み・例文・類語

ふそうりゃっき〔フサウリヤクキ〕【扶桑略記】

歴史書。30巻。皇円著。平安末期の成立漢文体による神武天皇から堀河天皇に至る間の編年史仏教関係の記事が主で、16巻分と抄本現存

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精選版 日本国語大辞典 「扶桑略記」の意味・読み・例文・類語

ふそうりゃっき フサウリャクキ【扶桑略記】

院政期の歴史書。三〇巻。皇円著。嘉保元年(一〇九四以後の成立。神武天皇から堀河天皇までの通史。仏教史を中心とし、古文献中の記事を抄録し、編年的に集成する。逸文多く含み、貴重。現存するのは全巻の約半分である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「扶桑略記」の意味・わかりやすい解説

扶桑略記
ふそうりゃっき

神武(じんむ)天皇から堀河(ほりかわ)天皇までの漢文編年体の歴史書。平安末期の成立で、著者は阿闍梨皇円(あじゃりこうえん)(?―1169)。仏教関係に重点が置かれている。堀河天皇の1094年(嘉保1)で終わっているので、この後に成立したことは確かである。13世紀後半に成立したと考えられている『本朝書籍目録(ほんちょうしょじゃくもくろく)』によれば30巻あったというが、現在は散逸して16巻分のほかに神武から平城(へいぜい)天皇までの抄本を残すのみである。「六国史(りっこくし)」をはじめ寺院関係の古伝などを参考に編纂(へんさん)されたもので出典を明記しているものもある。『純友(すみとも)追討記』を引くなど仏教関係以外の興味ある記事もあるが、概して仏教関係の記事で満ちている。それらは信頼できないところもあるが、出典を明示した引用書で今日失われている貴重な史料もある。しかし史料批判を加えるべきものが多いことは疑えない。著者の皇円は延暦(えんりゃく)寺の功徳院(くどくいん)に居住した天台宗学僧で、弟子に有名な法然(ほうねん)(源空)がいる。『国史大系』に所収。

[朧谷 寿]

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改訂新版 世界大百科事典 「扶桑略記」の意味・わかりやすい解説

扶桑略記 (ふそうりゃっき)

平安末期の編年体の歴史書。皇円著。巻末が1094年(嘉保1)で終わり,以降の成立である。もと30巻あったと伝えるが,神武天皇から平城天皇までの抄本と,第2~6巻,第20~30巻の16巻が現存している。引用文献は82種に及び,六国史以下の史書や寺院縁起,流記,僧伝などを典拠とし,現在散逸したものも含まれる。記事の大部分は仏教関係で,仏教史として後世まで重視され,《水鏡》《愚管抄》など鎌倉時代の歴史書にしばしば引用され,影響を与えている。現在でも仏教史史料としての価値は高い。著者皇円は比叡山功徳院の学僧で,肥後阿闍梨(あじやり)と称せられ,浄土宗の祖法然の師として知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「扶桑略記」の意味・わかりやすい解説

扶桑略記
ふそうりゃくき

『扶桑記』『扶桑集』ともいう。神武天皇から堀河天皇の寛治8 (1094) 年までの編年史。 30巻。延暦寺の学僧皇円 (?~1169) の編。 12世紀末の成立。現存するのは,巻2~6 (神功皇后~聖武天皇) ,巻 20~30 (陽成天皇~堀河天皇) の 16巻分であるが,抜書きとして神武天皇から平城天皇までの部分があるため,散逸巻の一部分をうかがうことができる。六国史や日記,縁起,伝記などを材料とした通史で,仏教関係の記事が詳しい。神代の部分もあったらしいが,具体的な形で伝わってはいない。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「扶桑略記」の解説

扶桑略記
ふそうりゃっき

仏教に重点をおいた編年体の歴史書。30巻。延暦寺の皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)の著。12世紀後半の成立か。現存するものは2~6巻,20~30巻の計16巻と神武天皇から平城天皇までの抄本のみ。神武天皇即位から堀河天皇の1094年(嘉保元)までを記す。史料としての信頼性はかならずしも高くないが,六国史(りっこくし)その他の史書,寺社の縁起,僧伝などの古書を出典をあげて豊富に引用する。とくに仏教関係記事には他にみられぬ貴重な史料が多い。「改定史籍集覧」「国史大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「扶桑略記」の解説

扶桑略記
ふそうりゃくき

平安末期,延暦寺の僧皇円の著した歴史書
30巻。神武天皇から堀河天皇までの漢文編年体の史書。仏教関係の記事が多く,六国史にない記述も少なくない。2〜6巻,20〜30巻までの計16巻と神武天皇から平城天皇に至る抄本が現存する。

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百科事典マイペディア 「扶桑略記」の意味・わかりやすい解説

扶桑略記【ふそうりゃっき】

平安末期の天台宗の僧皇円(こうえん)が神武天皇から堀河天皇までの事柄を編年体で記した歴史書。もと30巻と伝え,うち16巻と抄本が現存。仏教関係の記事が多く,出典を明示している。

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世界大百科事典(旧版)内の扶桑略記の言及

【風土記】より

… 《続日本紀》和銅6年(713)5月2日条に〈畿内七道諸国は,郡郷の名は好き字を著け,その郡内に生ずるところの銀銅,彩色,草木,禽獣,魚虫等の物は具(つぶさ)にその品目を録し,及び土地の沃塉(よくせき),山川原野の名号の所由(いわれ),また古老相伝の旧聞異事は,史籍に載せて言上せよ〉とある。この命令を大きく分ければ,前半は物産関係条項,後半は土俗関係条項となるが,これを風土記撰進のことであるとしたのは,平安時代の天台の学僧阿闍梨皇円述作の《扶桑略記》(1094ころ)である。彼がどんな資料によったかは不明だが,現在からみても妥当である。…

※「扶桑略記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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