日本大百科全書(ニッポニカ) 「嘉約翰」の意味・わかりやすい解説
嘉約翰
かやくかん
(1828―1901)
19世紀の中国において西洋医学の普及に尽くしたアメリカ人カーJohn Glasgow Kerrの中国名。オハイオ州に生まれ、ジェファーソン医科大学を卒業。1854年(中国清(しん)朝の咸豊4)5月、嘉約翰夫妻は広東(カントン)に到着、伝道協会病院の仕事に従事したが、1856年に病院が閉鎖され、翌1857年アメリカに帰った。1858年ふたたび広東にきて博済病院を創設し、1866年には西欧人による最初の医学校(博済医学校)を設立した。嘉約翰は医学や化学の教科書を著し、西欧の医学書を中国語に翻訳した。『体質窮源』『割症全書』『炎症新論』『西医内科全書』『西薬略釈』『眼科撮要』など十数書がある。1880年、中国語で書かれた最初の西洋医学雑誌『西医新報』を創刊、2年間発行し(1~9号)、1887年には中国における医学伝道協会の初代会長となった。
[山本徳子]