しん

精選版 日本国語大辞典 「しん」の意味・読み・例文・類語

しん

  1. 〘 名詞 〙 仲間。多く子どもが用いる。
    1. [初出の実例]「芝居ごっこをして遊ばうぢゃアねへか。金さんもしんに這入んな」(出典:滑稽本・客者評判記(1811)中)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「しん」の意味・わかりやすい解説

シン(Manmohan Singh)
しん
Manmohan Singh
(1932― )

インド政治家。インド独立以来、ヒンドゥー教徒以外での初の首相。独立前、イギリス領インド・パンジャブ州のシク教徒の家庭に生まれ、1948年にパンジャブ大学を卒業。イギリス・ケンブリッジ大学を経て、1962年にイギリス・オックスフォード大学で経済学博士課程を修了。経済学者としての道を歩み、1964年には、伝統的に保護主義路線をとるインド政府の貿易政策を真っ向から批判する著書『インドの輸出と自力成長への展望』を出版し、注目を集めた。インドへ戻り、パンジャブ大学などで教鞭(きょうべん)をとる一方、国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局にも勤務。その実力を買われ、1971年に商務省の経済顧問として政府入り。翌1972年に財務省の首席経済顧問に抜擢(ばってき)され、経済政策の専門家として頭角を現す。

 国家計画委員会委員長、インド中央銀行総裁、首相の経済問題担当顧問などの要職を次々と歴任し、1991年に上院議員選に当選。ナラシマ・ラオP. V. Narasimha Rao(1921―2004)首相率いる国民会議派政権で財務相に任命され、外資導入や規制緩和などの抜本的な経済改革を主導した。国民会議派は1996年総選挙で大敗したが、野党時代に上院の指導者として国民会議派内で地歩を固めた。2004年総選挙では国民会議派が勝利し、約8年ぶりに政権を奪還。カラム大統領の組閣要請を受け、5月にシンを首班とする連立政権発足。2009年の総選挙でふたたび国民会議派が勝利し、5月に第2次政権が発足した。2014年1月に今期での首相退任を表明し、同年5月の総選挙後に退任した。

[林 路郎]


シン(メソポタミアの神)
しん
Sin

古代メソポタミアの神話で、天体神中の最高神。セム系アッカド語で、「月、月神」を意味し、メソポタミアの先住民であるシュメール人が月をよぶのに用いたことば「ズゥ・エン」(スゥ・エン)が訛(なま)ったものといわれる。メソポタミアの宗教および神話では、月神は天界の神々のなかで最高位に置かれ、太陽神シャマシュ(男神)と金星の女神イシュタルはその息子と娘であった。月神シンは南メソポタミアのウルを中心として、人間の保護者として厚く崇拝された。のちには北メソポタミアのハッラーン(ハラン)にも神殿が建てられ、その信仰は異教時代のローマにも伝えられた。

矢島文夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「しん」の意味・わかりやすい解説

シン
Singh, Manmohan

[生]1932.9.26. ガー
インドの政治家,経済学者。首相(在任 2004~14)。シク教徒で,インド初のヒンドゥー教徒(→ヒンドゥー教)以外の首相。パンジャブ大学に学んだのちイギリスのケンブリッジ大学に留学。1962年オックスフォード大学で経済学博士号を取得。1970年代に複数の省の経済顧問,首相諮問委員会委員を歴任し,1976~80年インド中央銀行理事,1982~85年総裁を務めた。1991年財務大臣に任命されると,当時経済破綻の瀬戸際にあったインドの経済改革に手腕を発揮し,経済繁栄の基礎を築いた。同 1991年インド国民会議派の一員として上院議員となり,1996年まで財務大臣を務めた。1999年下院選挙に立候補したが敗れた。2004年の選挙で国民会議派が勝利を収めたが,会議派総裁のソニア・ガンジーが首相の座を固辞し,シンを首相に指名した。首相として急速な経済成長を先導し,増大する国内エネルギーの需要に対処するため,アメリカ合衆国と民生用の核開発協力に関する合意をまとめた。しかし,親米寄りとの批判にさらされた。2009年の選挙で国民会議派を中心とする与党連合が議席数を伸ばし,第2次シン内閣が発足した。2014年初めに 3期目を目指さないことを表明,同年 4月から 5月に行なわれた選挙後に退任した。

シン
Singh, V.P.

[生]1931.6.25. イギリス領インド,アラーハーバード
[没]2008.11.27. インド,ニューデリー
インドの政治家。元連邦政府首相。フルネーム Vishwanath Pratap Singh。カースト差別問題を中心とする社会問題に強い関心を寄せた。プネー大学とアラーハーバード大学を卒業。1969年にウッタルプラデーシュ州の政界入りを果たし,1971年連邦議会下院議員となったのを機に中央政界に進出する。一貫してインド国民会議派に依拠し,ラジブ・ガンジー首相時代には財務大臣,国防大臣を務めたが,1987年会議派を離党し,翌 1988年にはジャナタ・ダルを設立,1989年の第9回総選挙で同党を勝利させ連邦首相に就任した。しかし下層カーストの優遇枠制度の導入とヒンドゥー原理主義への対応をめぐり,1990年に失脚した。

シン
Singh, Sardar Swaran

[生]1907.8.19. ジャンカール
[没]1994.10.30. ニューデリー
インドの政治家。ラホール大学卒業後,弁護士を経て,パンジャブ州政府の各閣僚を歴任した。 1952年中央政界入りしたのちも,食糧農業相,国防相,外相など主要閣僚ポストを経験。 I.ガンジー首相の忠実な支持者として知られ,69年の国民会議派の分裂ではガンジー派の中心であったが,78年1月の分裂では反ガンジー派となり,同年3~12月ガンジー派脱退後の国民会議派の総裁に就任。

シン
Sin

バビロニア=アッシリア神話の月神の名。「英知の王」を意味する古アッカディア語の zu-enに由来。シュメール語ではナンナと呼ばれた。エンリルの息子,太陽神シャマシュ,戦いと愛の女神イシュタルの父。南バビロニアのウル,北アッシリアのハラシを中心に尊崇された。そのおもな任務は天と地のランプとなることであった。

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朝日日本歴史人物事典 「しん」の解説

しん

生年:生没年不詳
戦国時代の武家の女性。毛利元就の娘,宍戸隆家の妻。父元就の,宍戸元源との「水魚の思」を実現する最善の方法として,元源の子隆家と婚姻。それによって宍戸氏と毛利氏の同盟が成立,尼子氏に対抗する大きな力となった。しんが兄吉川元春と仲たがいしたとき,元就は元春側に非を認めてしんを擁護しているが,それほど宍戸氏との同盟は毛利家中に大きな意味を持っていた。のち隆家の娘と毛利隆元の子輝元の婚約により,両家の結束は一層固いものとなっていく。婚姻が,同盟,和平手段として重要であったことを示す好例である。<参考文献>『毛利家文書』

(田端泰子)

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世界大百科事典(旧版)内のしんの言及

【立花】より

…成立当初の〈立花(たてはな)〉の形式と目的は,室内を飾り,それを眺め楽しむということであった。1490年ころになると,花瓶に〈立て〉られる種々の草木のうち,その中心となるものを〈しん〉(心,身,真)と呼び,それに添えるものを〈下草〉と呼んで,それぞれの約則名によって立てられるようになった。それがいわゆる立花(たてはな)様式の誕生になる。…

※「しん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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