朝日日本歴史人物事典 「嘉納治郎作」の解説
嘉納治郎作
生年:文化10.10.24(1813.11.16)
幕末維新期の廻船業者。近江国(滋賀県)坂本村生まれ。のち摂津国御影村(神戸市)の廻船問屋嘉納治作の養子となる。本家は嘉納治郎右衛門で江戸積酒造業に専業,その分家筋の治作は樽廻船を所有して廻船業を営み,幕府廻船御用達を勤めた。治郎作はその廻船業を継ぐと同時に,文久2(1862)年勝海舟 のもとで和田岬,神戸・西宮の砲台築造工事を請け負った。慶応3(1867)年10月,出願によって幕府所有の汽船長鯨丸,奇捷丸,太平丸などを託され,江戸―神戸―大坂間の定期航路を開き,これがわが国の洋式船による定期航路の端緒となった。維新後は政府に仕え,明治17(1884)年には海軍権大書記官に任ぜられた。講道館創始者の嘉納治五郎は3男。
(柚木学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報