イギリス湖水派の詩人(湖畔詩人),批評家。オックスフォード大学中退後,フランス革命に共感,コールリジと北アメリカに〈理想平等社会〉建設を夢みて失敗。スペイン滞在中に《ジャンヌ・ダルク》(1796),ロンドンで《詩集》(1797)を出し,のちケジックに定住した。彼の詩は,エキゾティックで神話的テーマをもつ叙事詩《サラバ》(1801),《マドック》(1805),《ケハマの呪い》(1810),それに議会改革をうたう《ワット・タイラー》(1819)の劇詩が中心である。しかし短詩《ブレニムの戦》は,戦死者の頭蓋骨を子供がもてあそぶ痛烈な戦争風刺で印象的である。現実の人生よりも読書から学んだサウジーには,天才的ひらめきや深遠な思想はないものの,良識と愛情にもとづく温かさがあった。散文でも多方面のエッセーとともに,《ブラジル史》(1810-19),《ネルソン》(1813)のような歴史・伝記物にすぐれ,スペイン文学の翻訳もある。
執筆者:松浦 暢
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イギリスの詩人。フランス革命を賛美し、コールリッジとともに政治的ユートピア「万民平等社会(パンティソクラシー)」の建設を夢みたが、のち王党派に転ずる。1813年桂冠(けいかん)詩人の地位を得、ジョージ3世の追悼詩を書き、バイロンの痛烈な風刺を浴びた。長編詩に『キハーマ王の呪(のろ)い』(1810)などがあり、今日では『ネルソン伝』(1813)が広く読まれている。
[早乙女忠]
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…これ以来この種の詩作は,桂冠詩人の義務ではなく,自発的意志によってのみ行われるならわしである。ほかに著名な桂冠詩人としてはR.サウジー,A.テニソンがいる。【川崎 寿彦】。…
…彼の代表作の多くは,1799年末から1806年まで居を構えたグラースミアのダブ・コティッジで書かれた。その北方十数マイルのケジックにあるグリータ・ホールには1800年から04年まで僚友コールリジが,また03年から43年までR.サウジーが住まった。〈湖畔詩人〉の呼称はこの3人に対して,《エジンバラ・レビュー》(1817年8月)が軽蔑的に与えたものである。…
※「サウジー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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