朝日日本歴史人物事典 「ドンケル=クルティウス」の解説
ドンケル=クルティウス
生年:1813.4.21
幕末のオランダの外交官。アルンヘムに牧師の長男として生まれる。1830年ライデン大学法学部入学,38年東インド総督府1等文官,39年セマラング司法局判事,46年陸軍法務院判事,47年東インド高等法院判事を歴任,52年4月7日,対日交渉の適任者として任命され,同年7月21日長崎に着任,11月1日オランダ商館長となる。安政2(1855)年の夏,駐日オランダ国王特命全権領事官を兼ね,同年12月23日(1856年1月30日)日蘭和親条約,安政5年7月10日(8月18日)日蘭修好通商条約を締結した。翌5年11月辞任。さらにその翌年,初代駐日総領事ウィットに後事を引き継ぎ,10月まで日本に滞在した。『実用日本語文法』(1857)を書く。
(内海孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報