四十貫村(読み)しじつかんむら

日本歴史地名大系 「四十貫村」の解説

四十貫村
しじつかんむら

[現在地名]三次市四十貫町

後山うしろやま村の南に位置し、西南馬洗ばせん川を境に南畑敷みなみはたじき村と接する。ほぼ中央を東西に備中新見路が通る。江戸時代は広島藩領であるが、寛永九年(一六三二)より享保五年(一七二〇)までは三次藩領。もと西隣の畠敷はたじき村に含まれ、慶長六年(一六〇一)別村となる(芸藩通志)と伝えるが、元和五年(一六一九)の備後国知行帳ではまだ畠敷村に含まれ、村名はみえない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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