坂嶺村(読み)さんみむら

日本歴史地名大系 「坂嶺村」の解説

坂嶺村
さんみむら

[現在地名]喜界町坂嶺さかみね

中隈なんま村の北東に位置し、海に面する。西目にしみい間切のうち。島中ノロの思戸金は寛文九年(一六六九)坂峯村の白間掟(白水掟か)の娘として生れたという(「勘樽金一流系図」奄美大島諸家系譜集)。元禄五年(一六九二)の喜界島帳留(列朝制度)西目間切与人のとして「坂嶺村」とみえる。文政一三年(一八三〇)喜界島代官は坂嶺村の正月二日の蔵祝を禁じ、また砂糖の惣買入策に伴って、九月九日の豊年祝は諸入費を島内の砂糖生産高に割当てたり、間切から出させたりしていた慣例を停止させ、米一石余を渡すこととしている(「申渡書」近世奄美の支配と社会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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