デジタル大辞泉 「儀礼」の意味・読み・例文・類語
ぎ‐れい【儀礼】
2 一定の形式にのっとって行われる宗教上の行為。「通過
[類語]礼法・礼式・礼・礼儀・礼節・
宗教的な儀式や,一定の法にのっとった礼式をさす。しかし,19世紀末以降の人文・社会科学,ことに民族学者・社会人類学者らによる調査と研究は,この言葉により深い意義と広がりとを与えた。すなわち,儀礼という行動様式は,ふだんの生活とは異なった時間と空間の中で行われ,さまざまな歌や踊り,色鮮やかな衣装や飾り物などを伴って,ある場合は荘厳な雰囲気を,またある場合は陽気な喧噪状態を作りだし,日常生活の中の言語や通常の技術的道具などでは表し伝ええない,社会の連帯といった価値や,結婚・死といった重大なる事件を明確に表現し,心に強く刻みこむ働きを持つ,ということが明らかになった。そしてある種の経済的交換,集団間の戦争,さらには社交や挨拶など直接には宗教と無関係の活動にまで儀礼という言葉の意味するところを広げ,これらの中に儀礼的要素を見いだし,もしくは儀礼的側面から理解しようとするようになった。これら儀礼を宗教に限定せずに広く儀礼的性格を探っていく研究が,儀礼という言葉の日常的な使い方にも影響を与え,たとえば〈春闘の儀礼化〉〈通過儀礼としての大学入試〉といった使い方が聞かれるようにもなってきた。そのような使用法を含め,儀礼という言葉の意味するところを理解するために,現在までの儀礼研究の主たるものを歴史的に追ってみよう。
儀礼に関する研究で19世紀末以前とそれ以降とをつなぐものはロバートソン・スミスWilliam Robertson-Smithの論考である。神学者でもあった彼は,宗教における儀礼を教義と同等に重要なものとみなし,信者たちの共同の行為としての儀礼,とくに供犠・共食の行動が,神と信者の間の宗教的意味のみならず,信者集団の共同性や紐帯に対し効用を持つと主張した。20世紀初頭,デュルケームは,聖なる領域と俗なる領域を分ける考えに基づき,儀礼はその二つの領域を連結する行為としてとらえ,たとえば動物の供犠は,日常生活のこの世と超自然的な存在のいるあの世とを結ぶ行為と解釈した。そしてロバートソン・スミスと同様に彼も,儀礼には社会の統合を増す機能があると唱えた。
上記の2人が対象とした儀礼は,主として犠牲の祭儀であり,彼らの分析はその儀礼の内容のうち,殺す行為の意味と殺される獣の役割に向けられていた。一方,ハリソンJane H.Harrisonとファン・ヘネップの2人は,儀礼の形態と構造に関する研究において意義ある貢献をなした。古典学者ハリソンはギリシアの祭式と劇を例にとりながら,芸術,とりわけ演劇は古代の祭式に発するものであり,したがって儀礼(祭式)と演劇(芸術)は形態からは相同のものであり,広い意味での宗教性の有無にその相違があるにすぎないと主張した。
ファン・ヘネップはさまざまな儀礼の中から,人々がその儀礼を遂行することによって新たな地位や状態を獲得するというタイプの儀礼に着目した。彼はこの種の儀礼を通過儀礼と呼び,その形態と構造を分析することで概念化した。たとえば誕生の祝い,成年式(元服),結婚式,葬式などの通過儀礼は,個人の社会における身分や地位が変化する際に,あるときは自然的な成長過程を強調する形で,またあるときは純粋に社会的な移動として,その個人がある段階を通過して変化したことを社会全体に知らしめ,また彼自身の自覚を強くするという機能を持っている。また年中行事のうち,新年の儀礼(正月)のように,私たちを取り巻く世界がある時点を通過して,古い状態から新しい状態に変化する際に行われる儀礼も,通過儀礼として考えられる。
これらの研究をうけて,マリノフスキーは,社会にとって儀礼は神話と表裏一体の存在であると考えた。神話が社会の成員に対して最も基本的な規範を言語で示すのに対して,儀礼は神話が示す規範や理想を可視的に劇的に表現するという主張である。たとえば現代の国家が行う儀礼(祝典やパレード)においては,その国家が理想とし価値を置くものが,元首から一般国民に至るまでが居並ぶ広場や大通りで,次々と劇的に披露される。儀礼の中には,その社会が理想とする社会秩序とは逆の,乱痴気騒ぎの混沌や,一庶民が祭りの間だけ王となるというような役割の逆転が表現されるものがあるが,この場合も,理想や価値は反転した形で示されているのであり,むしろ表現として強い効果を持つと考えられる。
このように儀礼は今世紀に入って,主としてその社会的機能と形態が論じられてきたのであるが,1960年代に至って,関心は再び儀礼の具体的内容である動作,踊り,衣装,儀礼用具という要素,そしてそれらの表現し意味する事がらへと移った。ここには構造主義,シンボリズム理論からの強い方法論的影響があった。
ターナーVictor Turnerは,彼の調査したあるアフリカ社会では,たとえば儀礼の中に用いられる白・赤・黒の3色が,それぞれに精液・血・排泄物と関係し,生命・力・死を表現していることを明らかにするとともに,さらにそれら3色が単に一つずつの意味を持つのではなく,赤・白,白・黒といった対比において,それぞれの色は多義的な意味合いを持つことを論証した。リーチEdmund Leachも力点の違いこそあれ同様に,個々の社会によって色の分類とその意味体系は異なり,ある色の示す意味はそれと対比されている色との関係で,またその色の用いられる文脈との関係で決まることを主張した。
この色の分類に関する分析は単なる一例にすぎないが,ここに見られる構造主義的記号論の考えは,同じくシンボリズム研究を行ったレビ・ストロースの神話研究にも顕著である。すなわち,儀礼(神話も同様に)を宗教や信仰の領域から切り離して一義的に社会的機能や効用と結び付けるのではなく,むしろ儀礼をその社会の成員が共有している表現や伝達の手段,あるいはそのための装置と考えることである。この方法は,対象とする社会における言葉や事象や事物の持つシンボリズムを特定の儀礼の中でだけ探索するのではなく,その社会の持つすべての儀礼におけるシンボリズム,さらには儀礼以外の場面に現れるシンボル表現を全体的に分析することによって可能になる。ここに至って儀礼研究は,記号論的解釈,また非言語的コミュニケーションの研究などと隣接し,重なり合うに至ったのである。
以上のように〈儀礼〉という言葉は,その本来持っている限定的な意味から,しだいに広く,重要な事がらを表示するものとして使われるようになった。では,このように拡張された概念はどう定義しなおせるであろうか。現在,研究者の間に統一された見解はないし,一人一人がそれぞれに異なる作業仮説としての儀礼概念を持っているとさえ言える。しかし重なり合う部分はけっして小さくはない。
当然のこととして,儀礼には特定の時間と場所がある。儀礼はいつどこでも行われるという類の行為ではない。それは予期された時間と空間の中で,あらかじめ知られ決定された方式によって遂行されるのである。われわれが祭りを行おうとするとき,場所と期間を決定し,その中で踊りや贈答,歌や祝宴をその社会の作法にのっとり,または以前からの慣習に基づいて遂行するのである。日常生活の場合,その活動の多くが場所も時間も厳密には限定されておらず,本来的には予知のできない,一つ一つその場の判断を伴う連続的で,起伏のない行動として行われるのに対して,儀礼行動は根源的に性格を異にし,また対立する。このような儀礼において表現されるのは,日常の中では表せない,また把握できない種類の事がら,たとえばその社会の全体像,その社会が賞揚する価値,またある個人とある個人の人間関係,ある個人の成長・変化などである。つまり社会の全体像というものは,本来,時間的にも空間的にも切れ目なく連続して存在し,そのままでの認識は不可能なものであり,儀礼の場において,仮構された形で,ある広場にある期間だけ人々の目の前に現出するのである。同様にある個人の変化,それは実際にはゆるやかにしか起きていないものであるが,それを儀礼という限定した時空で一挙に表現するのである。したがってそこで行われる表現の内容,演技は,すでに決定された行為として,法式にのっとったものとなる。そしてそれぞれの社会に固有のシンボリズムに基づいて,さまざまなバリエーションを見せながら,あるときは華麗な,あるときは驚異にみちた行為が,一定の過程を経ながら順次繰り広げられるのである。
このようにその本質が明りょうとなった儀礼の概念が,われわれの社会と文化の理解に今後有効に働くのは次の点においてであろう。儀礼と芸術,ことに演劇との類似性は大きく,その境界には明確な線は引けない。しかし儀礼においては,劇における演者と観客の分離はない。これは,儀礼を演ずるのも見るのも同一の主体であるということであり,儀礼において人が個人を,社会を演ずるというのは,自分を,自分たちを表現することである。このとき人は逆に,表現された自分や自分たち(社会)の像から影響を受け,自分や自分たちを変化させる契機を得る。この,儀礼における表現するものと表現されたものとの間の往復運動(フィードバック)の働きは,前述のターナーの所論にもみられる。儀礼によって,本来は階層的な社会の周辺に,それと対立する形で平等を原則とする時空=コミュニタスcommunitasが現出する,という考えである。また,儀礼の象徴的表現はけっして硬直化した単なる繰返しの行為ではなく,その隠喩の作用によって新たな観念の組合せを生み出すものだ,という最近の考え方にも同様の視点が見られる。儀礼の持つ表現の装置としての強さは今後,社会と文化を考える際に十分に注目に値しよう。
→加入儀礼 →建築儀礼 →呪術 →狩猟儀礼 →象徴 →農耕儀礼
執筆者:船曳 建夫
中国古代の礼書,三礼(さんらい)の一つ。三礼の他の二つ,《周礼(しゆらい)》が仮構された国家組織を述べ,《礼記(らいき)》が断片的な礼の規範を取り上げて〈礼の精神〉を説こうとするのに対し,《儀礼》の本文は純粋に儀式の次第のみを記述しようとする。三礼の中でも最も早く成立したものであろう。《儀礼》が記述する儀式は,士冠礼(成人式)・士昏礼(しこんれい)(結婚式)・士葬礼(葬式)など〈士(し)〉階層の人生の通過儀礼,郷飲酒礼・郷射礼など共同体の祭礼,聘礼(へいれい)・覲礼(きんれい)など官僚として他国や天子のもとに出張した際の礼儀作法など,全部で17編からなる。冗長さを省いた的確な記述で,ある儀式のある場面でなされるべき人々の行動を規定する。おそらくは,儀式の演習の際のシナリオがまとめられてこの書物が形成されたものであろう。《儀礼》には後漢の鄭玄(じようげん)が注を加え,唐の賈公彦(かこうげん)が疏(そ)をまとめた。また清の胡培翬(こばいき)の《儀礼正義》も,この書物を読むための標準的な注釈である。なお甘粛省の武夷の漢墓から出土した漢簡の中に《儀礼》のテキストの一部がある。
執筆者:小南 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
英語で儀礼を意味するritual, riteは、その語源であるラテン語のritusからすれば、習慣化された行為をさし、動物行動学などにおいては、人間も含む動物全般にみられる慣習化された行動をさすものとして使われる。しかし一般には、人類学、宗教学をはじめとして、儀礼は宗教儀礼をさしており、本項でも、宗教を信仰と行為という二つの側面から考える場合の行為的側面をなすものとして儀礼を取り上げる。儀礼に関連した術語として、儀式ceremony、祭礼festivalなどがあるが、儀式は集団的で、より非宗教的な儀礼をさし、祭礼は見物人の多い芸能的要素の強い儀礼をさすものである。
[上田紀行]
儀礼は文化によって多種多様であるが、その性格により分類が試みられてきた。まず、デュルケームによる、聖なるものとのかかわりが禁じられる消極的儀礼(タブーなど)と、聖なるものとの交流がなされる積極的儀礼(供儀など)の区別がある。また個人、集団の危機との関連で、チャプルとクーンは、個人がある状態から他の状態に移行する際に生じる危機を克服する通過儀礼(誕生、成人儀礼など)と、集団が状況の変化によって生じる危機を克服する強化儀礼(生産儀礼、戦争儀礼など)を区別している。
[上田紀行]
儀礼研究は儀礼のもつさまざまな側面に焦点をあててきた。初期の研究においては儀礼の起源が問題にされ、ロバートソン・スミスは、儀礼の起源が神と人間との交流としての供儀にあり、儀礼は信仰に先行すると論じた。しかし、儀礼の機能主義的研究が盛んになると、儀礼の起源は問われず、その機能に焦点があてられるようになる。デュルケームが、オーストラリアのトーテム儀礼が部族の統合に寄与していることを示したのをはじめ、ラドクリフ・ブラウンは、儀礼に参加することにより個人の情緒が安定することで社会の統合がもたらされると論じた。すなわち、儀礼は個人の欲求を満たし、社会の平衡状態を維持する機能があるというのである。
一方で、儀礼の「なにかをなす」側面よりも、それが「なにかを意味する」側面に注目したのが、エバンズ・プリチャード、ターナー、レビ・ストロースらによる儀礼の象徴論的研究や構造主義的研究である。そこでは、儀礼の根底には、ある世界観が存在し、儀礼はそれをダイナミックに表象する象徴体系であるととらえられ、一つ一つの儀礼から世界観を導き出す試みが行われている。
[上田紀行]
儀礼はその参加者になんらかのメッセージを伝えるコミュニケーションであり、儀礼と演劇の類似性がハリソンによる指摘以来論じられ、象徴論的研究によって深められてきた。まず儀礼には日常と異なった場が設定される。ファン・ヘネップは通過儀礼を分離―過渡―統合の三つの過程としてとらえたが、儀礼一般にもその過程はみられる。すなわち、儀礼は日常から分離される過程(物忌みなど)を経て非日常性のなかで行われ、そのなかでは王と乞食(こじき)が入れ換わるなどの役割転倒やらんちき騒ぎが行われることもある。そして、儀礼はそのように非日常的な聖なる時間、空間という舞台が設定されたなかで行われる演技である。
儀礼には、文字化されていないが、伝統によって形成された執行の形式が存在し、参加者はその形式に従って演技する。その際、舞台装置としてのさまざまな物体や、参加者や物体の配置あるいは方角等もなんらかの意味をもつ象徴として機能する。儀礼と演劇との異なる点は、儀礼においてはその意味を伝えられるべき観客が演技する参加者自身であるという点である。すなわち、儀礼の参加者は、その舞台装置、自らの演技に自分なりの意味づけを行いながら演技を行う。しかし、さまざまな物体や身体所作(身ぶりなど)などはかならずしも一つの意味をもつわけではなく、つねに多義的であり、それゆえ変化の可能性をもつ。社会の状況に応じてある要素の異なる面が強調されたり、新たな要素の導入、あるいはいままで盛んでなかった儀礼が急に盛んになったりする。儀礼はこのように、伝統によって形成された形式を上演することで、参加者がそのメッセージを新たに発見し、それがまた伝統となって世界観を次の世代に伝えていく、といった不断のコミュニケーション過程であるといえる。
[上田紀行]
中国、儒教経典の一つ。『周礼(しゅらい)』『礼記(らいき)』とともに三礼と称される。戦国以前の古礼の節目を詳述しており、17篇(へん)。古くは『礼(礼経)』とよばれ、『儀礼』の名は西晋(せいしん)からみえる。周公や孔子(孔丘)の述作として尊ばれたが、実際には、礼の実習を重視する儒家が戦国末に編纂(へんさん)したものらしく、前漢には、魯(ろ)の高堂生(こうどうせい)の伝えた今文(きんぶん)17篇と、孔子旧宅より出たという古文53篇の両テキストがあった。後漢(ごかん)の鄭玄(じょうげん)が、劉向(りゅうきょう)の説に従って17篇を並べ、今文・古文を校合してテキストを定め、注をつけた。鄭玄の注に唐(とう)の賈公彦(かこうげん)の疏(そ)(注釈)が施された『儀礼注疏』が、『十三経注疏』に含まれる。『儀礼』は名のとおり、礼の詳細な行動のシナリオであり、おもに士の礼を(一部は大夫、諸侯の礼や通礼)、冠婚より葬祭まで、おおむね一生の順に記したもので、先秦(せんしん)の風俗・宗教・社会を知る貴重な資料である。なお、1959年、甘粛(かんしゅく)省武威県で、後漢の墓より発掘された『儀礼』9篇の木簡(もっかん)(長さ54~58センチメートル)は、当時の経書の形態を知りうる唯一の考古資料である。
[高橋忠彦]
『胡培翬著『儀礼正義 皇清経解 続篇』』▽『池田末利訳注『東海大学古典叢書 儀禮』全5巻(1973~77・東海大学出版会)』
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…中国の礼に関する3種の古典,《周礼(しゆらい)》《儀礼(ぎらい)》《礼記(らいき)》の総称。《周礼》は《周官》ともいい,理想の官制をしるした行政法典。…
…知られているすべての人類社会において,死はそれぞれの社会に固有の文化的意味づけを与えられている。この意味づけは,一方では死生観,他界観,終末論などの観念体系によって,他方では象徴的行動すなわち儀礼の存在によって支えられている。葬制とはこうした死を契機として行われる一連の儀礼にほかならず,したがってこれを死者儀礼と呼ぶこともできる。…
…宗教儀礼の分類の仕方には種々あるが,儀礼において,動物等の殺害ないし供物の破壊をともなう儀礼を,宗教学,文化人類学では一般に犠牲sacrificeと呼んでいる。もともとこの言葉はラテン語でsacer+facere,つまり〈聖なるものにする〉という意味を含み,日本語の生贄(いけにえ),供犠(くぎ)に該当する。…
…挨拶のために頭を下げたり握手したりする行動は,開始者の先後はあっても,同時に進行しうるものであり,あるいは邂逅や別離のしるしとして同時に了解し合い,それを拒否する場合とは明らかに区別された意味を両者の間に成立させる。触覚依存度の高い性的交渉の例はさておき,これら以外にも筋書きを共有し合った者どうしの共同作業や儀礼の場面で,人は言葉を発しなくとも,相互の身体的行動の軌跡を視覚的に読みとることで,コミュニケートし合っている。相撲やラグビーもまた,言葉を発することなく,相互の動きを視覚的あるいは触覚的知覚にもとづいて認知して,言葉によらぬコミュニケーションを行いつつ,同時並行的に競い合っているのである。…
…このように,原イメージをめぐる単純極まりない説話の中に,概念的思考が無数の言葉を費やしてなおくみ尽くしえない思想と観念を喚起し,それらを日常的イメージとの相互浸透の関係におくことこそ,象徴および象徴的思考の働きなのである。
[儀礼と象徴]
象徴の力は世界と人間に具体的に働きかけるためにも用いられる。象徴が組織する経験の多様性に,また,知・情・意を含む全体的な精神作用を喚起し方向づける作用のゆえに,象徴が人間の経験世界を操作するために用いられるとき,それはきわめて有効に働く。…
…foolの語源はラテン語のフォリスfollis(〈ふいご〉の意)で,道化の無内容な言葉を〈風〉にたとえたと思われる。他にも類語は多く,貴族・富豪の饗宴に伴食したバフーンbuffoon(これも〈風〉を意味するイタリア語buffaに由来する),宮廷お抱えのジェスターjester,タロット(のちのトランプ)のジョーカーjoker,神話・伝説や儀礼に登場するいたずら者のトリックスター,そしてコメディア・デラルテからサーカスを経てミュージック・ホールや無声映画にいたる民衆的芸能に欠かせぬクラウンなどがある。 これらを整然と区別し定義するのは不可能だが,後述する〈儀礼の道化〉が典型的に示している,固定的な秩序へのおどけた批判者,思考の枠組みの解体者という役割は,あらゆる分野の道化に共通して見られる。…
※「儀礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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