日本大百科全書(ニッポニカ) 「壬辰倭乱」の意味・わかりやすい解説 壬辰倭乱じんしんわらん 豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮出兵に対する朝鮮での呼称。壬辰(1592=文禄1)・丁酉(ていゆう)(1597=慶長2)の倭乱ともいう。中国では万暦(ばんれき)(1573~1619)朝鮮の役という。[編集部][参照項目] | 文禄・慶長の役 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の壬辰倭乱の言及 【文禄・慶長の役】より …豊臣秀吉が1592‐98年(文禄1‐慶長3)に2度にわたって企てた朝鮮に対する侵略戦争。朝鮮側では〈壬辰・丁酉倭乱〉または〈壬辰倭乱〉とよぶ。【日本側の状況】[秀吉の動機と準備過程] 本来,秀吉の意図は明国を服属させること(唐(から)入り)で,朝鮮に対してはその道案内を求めるという〈仮道入明(かどうにゆうみん)〉を標榜していた。… ※「壬辰倭乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by