デジタル大辞泉 「慶長」の意味・読み・例文・類語 けいちょう〔ケイチヤウ〕【慶長】 後陽成天皇・後水尾ごみずのお天皇の時の年号。1596年10月27日~1615年7月13日。きょうちょう。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「慶長」の意味・読み・例文・類語 けいちょうケイチャウ【慶長】 [ 1 ] 江戸初期、後陽成天皇、後水尾天皇の代の年号。文祿五年(一五九六)一〇月二七日変異により改元。出典は「毛詩注疏」の「文王徳深厚、故福慶延長」。慶長三年(一五九八)豊臣秀吉が没し、同八年徳川家康が征夷大将車となる。同一〇年徳川秀忠が将軍となる。慶長二〇年七月一三日、元和と改元。[ 2 ] 〘 名詞 〙① 「けいちょうきん(慶長金)」の略。[初出の実例]「黄金のはだへとなりて、小づかひ銭にも味噌しほにも、五両や七両は爪を切ても、慶長の光りたしかに」(出典:浮世草子・猿源氏色芝居(1718)一)② 古くさいこと。また、その人。大時代。[初出の実例]「まちかねにけりまちかねにけり・慶長をつれにしたのも因果也」(出典:雑俳・口よせ草(1736)) きょうちょうキャウチャウ【慶長】 ⇒けいちょう(慶長) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「慶長」の解説 けいちょう【慶長】 日本の元号(年号)。安土桃山時代から江戸時代にかけての1596年から1615年まで、後陽成(ごようぜい)天皇、後水尾(ごみずのお)天皇の代の元号。前元号は文禄(ぶんろく)。次元号は元和(げんな)。1596年(文禄5)10月27日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『毛詩注疏(もうしちゅうそ)』を出典とする命名。慶長年間の江戸幕府の将軍は徳川家康(いえやす)(初代)、徳川秀忠(ひでただ)(2代)。1597年(慶長2)、慶長の役(豊臣秀吉の第2次朝鮮出兵)が始まったが、翌年の秀吉の死去により、日本軍は朝鮮半島から撤退した。秀吉の死後、家康と豊臣恩顧の大名・重臣の間の対立が深まり、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いへと発展した。1603年(慶長8)、朝廷から征夷大将軍に任じられた家康が江戸幕府を開府。1605年(慶長10)に家康は将軍を辞し、徳川秀忠が第2代将軍に就任した。1615年(元和1)には大坂夏の陣で大坂城が落城、豊臣氏は滅亡した。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「慶長」の解説 けいちょう【慶長】 埼玉の日本酒。蔵元の「和久井酒造」は万延元年(1860)創業。平成20年(2008)廃業。蔵は秩父市上吉田にあった。 けいちょう【慶長】 京都の日本酒。蔵元の「平和酒造」は延享元年(1744)創業。所在地は京都市伏見区東組町。 出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報