慶長(読み)ケイチョウ

  • きょうちょう キャウチャウ
  • けいちょう ケイチャウ
  • けいちょう〔ケイチヤウ〕

大辞林 第三版の解説

年号(1596.10.27~1615.7.13)。文禄の後、元和の前。後陽成・後水尾天皇の代。きょうちょう。

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日本の元号がわかる事典の解説

日本の元号(年号)。安土桃山時代から江戸時代にかけての1596年から1615年まで、後陽成(ごようぜい)天皇、後水尾(ごみずのお)天皇の代の元号。前元号は文禄(ぶんろく)。次元号は元和(げんな)。1596年(文禄5)10月27日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『毛詩注疏(もうしちゅうそ)』を出典とする命名。慶長年間の江戸幕府の将軍は徳川家康(いえやす)(初代)、徳川秀忠(ひでただ)(2代)。1597年(慶長2)、慶長の役(豊臣秀吉の第2次朝鮮出兵)が始まったが、翌年の秀吉の死去により、日本軍は朝鮮半島から撤退した。秀吉の死後家康と豊臣恩顧の大名重臣の間の対立が深まり、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いへと発展した。1603年(慶長8)、朝廷から征夷大将軍に任じられた家康が江戸幕府を開府。1605年(慶長10)に家康は将軍を辞し、徳川秀忠が第2代将軍に就任した。1615年(元和1)には大坂夏の陣で大坂城が落城、豊臣氏は滅亡した。

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精選版 日本国語大辞典の解説

[1] 江戸初期、後陽成天皇、後水尾天皇の代の年号。文祿五年(一五九六)一〇月二七日変異により改元。出典は「毛詩注疏」の「文王徳深厚、故福慶延長」。慶長三年(一五九八)豊臣秀吉が没し、同八年徳川家康が征夷大将車となる。同一〇年徳川秀忠が将軍となる。慶長二〇年七月一三日、元和と改元。
[2] 〘名〙
※浮世草子・猿源氏色芝居(1718)一「黄金のはだへとなりて、小づかひ銭にも味噌しほにも、五両や七両は爪を切ても、慶長の光りたしかに」
② 古くさいこと。また、その人。大時代。
※雑俳・口よせ草(1736)「まちかねにけりまちかねにけり・慶長をつれにしたのも因果也」

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