日本大百科全書(ニッポニカ) 「大坂三郷惣会所」の意味・わかりやすい解説
大坂三郷惣会所
おおさかさんごうそうかいしょ
大坂三郷の惣年寄が出勤し執務した所。大坂三郷の各組(北組、南組、天満(てんま)組)には一つずつ惣会所が設置され、三郷惣会所と総称された。同時に個別には北組惣会所のように組名を冠して呼ばれた。各惣会所には、町奉行の任命で町方支配にあたった惣年寄が3~10名、これを補佐し公用事務を処理した惣代が3~7名、さらに江戸中期以降は惣代の補助として手代が3~7名、書類の作成にあたった物書(ものかき)1~3名がいた。また会所の施設と書類の維持管理のため会所守も置かれた。各惣会所は組内の公用事務処理にあたると同時に、月交代(月番制)で三郷全体(惣町)にかかわる事務処理にもあたった。
北組惣会所は1616年(元和2)に平野町8丁目に、南組惣会所は1622年に本町10丁目に(1724年〈享保9〉に南農人町1丁目に移転)、天満組惣会所は1629年(寛永6)に天満7丁目に設置された。各惣会所の規模は、北組が470坪、南組が移転後で500坪、天満組498坪で、それぞれ内部に惣会所建物、惣代・会所守居宅があった。
[内田九州男]