大沢四郎右衛門(読み)おおさわ・しろうえもん

朝日日本歴史人物事典 「大沢四郎右衛門」の解説

大沢四郎右衛門

没年:寛永16.8.26(1639.9.23)
生年:生年不詳
江戸前期の海外貿易商人。名は光中。山城国紀伊郡下鳥羽村(京都市)出身。大沢氏は永和4(1378)年8月,鳥羽荘司となる。曾祖父行元の代に,材木兵糧米の運送を通じ,時の権力者(織田信長,豊臣秀吉,徳川家康)と関係を持ちながら西国で廻船業を営み海外発展の基礎が作られた。四郎右衛門は,寛永9(1632)年安南国(ベトナム)へ渡航。同国の洪郡公より銀1000両を託され,日本物産(長剣,硫黄,鉢など)の輸入契約を履行翌年再び安南国へ渡り,洪郡公と輸入契約を再度結ぶが,江戸幕府が同10年に奉書船以外の海外渡航を禁止したため,この契約は果たせなかった。<参考文献>川島元次郎『朱印船貿易史』

(岩崎義則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大沢四郎右衛門」の解説

大沢四郎右衛門 おおさわ-しろうえもん

?-1639 江戸時代前期の貿易家。
廻船業をいとなむ家に生まれる。寛永9年(1632)安南(ベトナム)に渡航。国王より銀1000両をあずかり,長剣,鉢,硫黄などを購入してとどけた。海外渡航の禁止令がでるまで,定期的に船を出した。寛永16年8月26日死去。京都出身。名は光中。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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