朝日日本歴史人物事典 「大田倭麿」の解説
大田倭麿
奈良時代の伎楽面作者。正倉院に遺る伎楽面のうち,師子児・治道・呉公・太孤父・酔胡従など計7面の面裏にその名が墨書され,「大田和万呂」「大田和麿」「大田師」とも書く。また同墨書銘には「9年7月」と記すものがあり,宝亀9(778)年の制作を示すと解されることから,奈良時代末期に活躍したと推定される。作風は大仏開眼会当時の伎楽面に比べて,大づかみな量感の把握や,表情の誇張に特色があり,同期の仏像様式の傾向と共通することも指摘されている。<参考文献>正倉院事務所編『正倉院の伎楽面』,岡直巳「大田倭麿作の伎楽面考」(『大和文化研究』59号)
(浅井和春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報