天沢寺(読み)てんたくじ

日本歴史地名大系 「天沢寺」の解説

天沢寺
てんたくじ

[現在地名]敷島町亀沢

巨鼇山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。文明四年(一四七二)に鷹岳宗俊が庵を開き、同七年亀沢領主飯富虎昌が再び宗俊を請い、天沢寺と号した。山県昌満(天正三年没)が再興したという(甲斐国志・寺記)。天正一一年(一五八三)四月一七日の徳川家康印判状写(天沢寺文書)によると、当寺に亀沢内一八貫文が安堵された。同一七年一二月二三日、亀沢郷内七〇俵を許され(「伊奈忠次寺領証文写」同文書)、慶長八年(一六〇三)には徳川家四奉行の判物(寺記)で、寺領二五石余・境内七七一坪が黒印地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の天沢寺の言及

【春日局】より

…局との縁故で幕府に登用されたものは多く,夫正成は大名,子正勝は老中,兄斎藤利宗・三存,女婿堀田正吉は旗本,なかでも正吉の子正盛は老中をへて家光側近随一の重臣に取り立てられた。晩年,湯島に天沢寺を建立し,34年,子正勝没後は麟祥院と称した。東京都文京区春日の地名は,そこに局の屋敷のあったことに由来する。…

※「天沢寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」