亀沢村
かめざわむら
[現在地名]敷島町亀沢
吉沢村の西、荒川の支流亀沢川流域にある。中世の亀沢郷の遺称地。村名は産土神諏訪明神(現船形神社)の境内に亀石とよばれる石があることによるという(甲斐国志)。当村から亀沢川上流にある下芦沢村・上芦沢村・下福沢村・上福沢村・神戸村・安寺村・打返村・漆戸村・上菅口村・下菅口村・獅子平村および草鹿沢村(現甲府市)の一二ヵ村は亀沢入一二ヵ村とよばれた。慶長六年(一六〇一)の亀沢村検地帳(県立図書館蔵)によると反別は田一九町余・畑二四町六反余。慶長古高帳では高四八四石余、ほかに天沢寺領二五石余・大明神領一石余。貞享元年(一六八四)の検地帳(県立図書館蔵)では反別田二一町七反余・畑三五町二反余・屋敷二町六反余、高五九一石余。
亀沢村
かめさわむら
[現在地名]えびの市亀沢
岡松村の南、川内川南岸にある。日向国の最西端に位置し、西は大隅国。また川南筋の西端にあたり、当村を通って大隅国吉松(現鹿児島県吉松町)へ至る(えびの市史)。「上井覚兼日記」天正一二年(一五八四)五月一〇日条に「此日も洪水なとにて、漸般若寺之川向亀沢と申村へ着候」とみえ、宮崎城主上井覚兼は同月七日に有馬晴信の平定を終え、肥前島原を発して帰国の途中、薩摩国大口から当地に寄った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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