朝日日本歴史人物事典 「天荊」の解説
天荊
安土桃山時代の禅僧。京都花園の妙心寺の僧侶。「右武衛殿」(九州探題渋川氏)名義の使節として天正5(1577)年と同15年に朝鮮に渡海するが,使節団は対馬島民で構成され,天荊自身も対馬とのかかわりが深く,対馬と朝鮮との通交権取得のための渡海といわれる。文禄の役(1592)の際,小西行長の従軍僧として,朝鮮側に対する文書の作成を担当した。日記に『右武衛殿朝鮮渡海之雑藁』(1577),『朝鮮国往還日記』(1587),『西征日記』(1592)がある。安土桃山時代の外交僧,朝鮮通として活動した。<参考文献>中村栄孝『日鮮関係史の研究』上中,北島万次『朝鮮日々記・高麗日記』
(関周一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報