宇野真佐男(読み)ウノ マサオ

20世紀日本人名事典 「宇野真佐男」の解説

宇野 真佐男
ウノ マサオ

昭和期の映画監督,記録映画作家



生年
明治44(1911)年2月13日

没年
昭和60(1985)年4月6日

出生地
岡山県倉敷市阿知町

学歴〔年〕
鉄道省専門部電気科卒

経歴
国鉄岡山機関区に勤務後、昭和6年小説家・片岡鉄兵の紹介でナップ加盟。岡山プロキノ創設に参加、製作部長となり「岡山プロキノ・ニュース」を製作。プロキノ幹部検挙で7年上京。鉄道省専門部を出て大阪鉄道局勤務。9年キネマ旬報編集部嘱託、12年キネマ旬報社で月刊「文化映画」を編集。19年軍需省で働き、敗戦で岡山に戻りアトム映画社を設立、「岡山県政ニュース」などを監督した。28年毎日新聞東京本社を経て、30年毎日映画社、34年プレミア映画社と契約。39年東京五輪を撮影した「この時世界はただ一つ」を監督。わが国における小型映画(8ミリ 16ミリ)の草分け的存在で、他の作品に「少年の丘」「佐良山古墳」「美作三湯」などがある。また著書に「万博映画論」「幻の原爆映画を撮った男」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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