安喜山
あきやま
秋山とも記され、現石坂一丁目付近に比定される。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状には筑前国一円神領の内に「寺辺并秋山畠地」とみえる。天正一五年(一五八七)六月二八日付の安楽寺天満宮領坪付注文(太宰府天満宮文書)には「文人加賀野三郎知行分」として「同郡内安喜山分 一所三町」、同じ日に作成されたとみられる安楽寺天満宮領筑前国之内一社知行分注文(大鳥居文書)にも「同郡之内 一所安喜山分三町 文人加賀」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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